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INTERVIEW

葬祭業を営みながら竹原市に新しいビジネスモデルを。 人とのご縁を作り、より良い社会、魅力ある竹原市へ。

福本 博之さん

東京都 → 広島県 
2009年
家族4人暮らし (妻、娘、息子) 1976年生まれ 竹原葬祭 代表取締役 まちづくり会社 いいね!竹原 取締役

東京で大手車載電子機器メーカーに10年間勤務。2009年、竹原葬祭の創業社長である父が急逝し、竹原市にUターンし会社を立て直すことに。2016年、会社のそばの民家をリノベーションし「泊まれるコワーキングスペースKATARIVA」を開設。竹原へ移住する人のための受け皿を整えた。

竹原にUターンされた経緯を教えてください

関西の大学を卒業して、大手車載電子機器メーカーに就職。東京に住んでいました。会社ではマーケティングやブランディング、特にWebサイトに関連する業務を行っていました。この会社は全世界に法人があるのですが、各国での自社イメージの打ち出し方やWebサイトの構成を統一化する必要があるという私の企画が社内コンペに通り、その統括業務を任されていた時期もありました。

仕事が波に乗っていた2009年1月、竹原葬祭の社長をしていた父が脳梗塞で倒れ、急いで帰省。半身不随の後遺症が残るだろうと医師からの説明がありました。母と弟だけで竹原葬祭の業務と父の世話をするのは大変だろうと妻に相談し、退職をして竹原に戻る決意をしました。家族の緊急事態でしたから、10年間務めた会社を辞めることに迷いはありませんでした。竹原市にUターンを決意して1ヵ月後に父が亡くなりました。

Uターンされた時、葬儀会社を継ぐつもりでしたか?

僕は長男でしたが、弟が以前より手伝っていたため、当初は継ぐつもりはありませんでした。当面、母が社長を務めることになったんですが、当初より実質的には私が経営している状態で、会社の体制立て直しが一段落した2016年1月に社長に就任することになりました。
立て直しに当たり、大変だったのは業務内容、顧客情報など父の頭の中にしかない情報があまりにも多かったことです。何から手をつけていいのか分からない上に、葬儀のご依頼は次々やってくるような、混乱した状態でした。

そこで僕は竹原葬祭をきちんとした組織にしなければと思い、顧客データベースや経理体制などを整え、さまざまな葬儀のニーズに応えられるよう数十名から最大400人まで参列できるよう会館を改装。町並み保存地区の近くにある築120年の古民家をリノベーションし、20人ほどの小規模葬ができる葬儀場も作り、ハード面も整えました。
父は自らが動くことがお客様への貢献と考えていたようですが、それでは社内の1人が欠けた時にサービス品質が低下してしまうこと、社長自らが動くことは何か問題があったときに組織として回らないこと、さらに24時間365日いつご依頼をいただくかわからない仕事であることから、人事や社内体制も大幅に変えていきました。僕自身はなるべく日々の業務は社員に任せ、社長はどうしても人手が足りない時の最終手段、であればよいと考えたんです。

竹原への移住サポートを始めたきっかけは?

社内体制が落ち着いた後の2016 年の春頃、竹原市役所から竹原移住プロジェクトの受け皿になってもらえないかと声をかけていただきました。そして2016年6月頃、たまたま竹原葬祭のすぐ裏側の民家を格安で買って欲しいという話がありました。この家は車が入れない上に住み手がなく、解体するにも費用がかかるので手放したかったんだと思います。ここをリフォームして「泊まれるコワーキングスペースKATARIVA」を開設しました。

「泊まれるコワーキングスペースKATARIVA」は、その名の通り竹原市内外の人同士の語り合いや協働の場、または竹原へ移住を考えている人の一時的に滞在できる場、と位置づけました。言い換えれば、県外の人と竹原とのお見合いの場だと考えています。昨年は1週間ほどここに滞在しながら竹細工の修行をされた学生がいらっしゃいました。また竹原に移住を考えているファミリーが2泊3日ここで過ごし、地元の人とここでパーティをして交流を深めました。どちらの方も竹原にすっかりハマり、「いつかは移住したい」と帰られました。
また将来、「コワーキングスペースKATARIVA」は、竹原に移住した起業家のシェアオフィスとしても利用できるかなとも考えています。

現在、竹原の活性化のために考えていることは?

現在考えているのは大崎上島と三原市、竹原市と民間主導で広域連携しながら「フードツーリズム」を推進していこうという企画。大まかに言えば、空港や新幹線駅から一番近い港があるという立地を活かして、クルージングなどのマリンアクティビティと絡めながら、地域ならではの食とライフスタイルを体験するというプランです。この界隈の無人島でバーベキューをしたり、牡蠣と日本酒を古民家で食べてもらったりとアイデアはたくさんありそうだし、この地域には有能な地域プレイヤーがとても多い。ここでしかできない面白いプランではないかと思っています。
僕は県立広島大学が広島市内に中国地方で初めて開校した経営管理研究科(MBAコース)を履修していて、同級生の社会人大学院生たちともビジネスプランを考え、商工会議所や竹原市、広島県などと連携して実現できるよう動いています。

竹原市の魅力を教えてください

竹原は田舎で人口も減りつつある町という見方もあるのかもしれないけど、僕自身、竹原に戻ってきて「意外にやるな、竹原!」と感じました。住んでいる人がとても前向きだし、都会人にはないエネルギーというか生命力があり、自分の生活や仕事を楽しむことのできる優秀な人が多いんです。僕は東京で10年間比較的大きな組織で働いていました。竹原に戻らなければ企業人としてそれなりにやっていけたと思いますが、竹原に戻ってきてからの方が自分の能力が発揮され、自分自身を高められることができていると感じています。東京の生活や、それまでのキャリアを手放したことの後悔は全くありません。それどころか会社員だった10年間のキャリアが今にとても役立っています。

地域貢献と葬祭業の接点はありますか?

葬祭業は地域に密着した業種。地域が元気でないと会社も存在できません。僕の役割は、地域に会社の名や顔を知っていただき、地域の方のお役に立つことも大事な仕事のひとつと思っています。地元の祭りのお手伝い、PTAの役員、商工会議所などできる限り参加をしています。それは父もやってきたことでした。僕が今、竹原市の活性化のためにやっていることは、竹原葬祭の営業活動に直結していると言ってもいいのですが、そうした活動を長期的な視点を持って続けていくことは、地域貢献に繋がると僕は思っています。
葬儀に参列すると、親戚や古い友人と久々に会うことができるじゃないですか。それは亡くなった人が作ってくれたご縁なんですよね。故人とご縁のある、残された人同士が力を合わせて仲良く、豊かに生活していくことが地域にとってとても大切で、それができる社会は豊かで幸せなんです。ご縁で結ばれた幸せな社会を作る。いろんなことをやっている僕のモチベーションはそこになります。葬儀と地域活性は直結しているんです。

移住を考えている人にメッセージをお願いします

業種によりますが、現代はどこにいても仕事はできる、というのが僕の本音です。竹原は車で20分ほど走れば広島空港に行けるし、町と港が近い。東京や島しょ部へのアクセスがいいんです。僕は地域のたくさんのところに顔を出しているので、いろんな業界の人との繋がりがあり情報も人脈も幅広く、必要に応じて人を繋げることはできます。町並み保存地区界隈をはじめ、市内には古民家などの空き家が多いため、その活用方法によっては起業のポテンシャルはかなり高いのではと考えています。
竹原に移住を考えておられる方は、僕が相談にのるのでいつでもご連絡ください(笑)。

(平日)

6:30 起床 朝食後、子ども達を集団登校の集合場所に送っていく
広島市西区の生花市場へ仕入れに
12:00 昼食
13:00 KATARIVAで市の職員と打ち合わせ
18:30 再び広島市へ戻り、県立広島大学へ。MBAコースで勉強。
23:00 帰宅。SNSなどの投稿をチェック
24:30 就寝

(休日)

9:00 起床
のんびりくつろぐ
13:00 県立広島大学へ勉強に
16:00 同期生とグループワーク、事業計画、ビジネスプランを語り合い、そのままみんなと食事へ
22:00 帰宅
24:30 就寝
福本 博之さん

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