ログイン
HOME
INTERVIEW

子どもながらに感じた街の面白さ。 大人になった今、地域活性化のために日々新しいまちづくりに奮闘中。 仕事もライフワークも広島一筋です。

山中 佑太さん

東京都 → 広島県
2016年
1985年生まれ 株式会社荒谷建設コンサルタント地域デザイン部 勤務 家族 2人暮らし(妻)

広島のまちづくりに関わりたい。子どもの頃に抱いた夢を叶えるため、広島へ戻ることを前提に東京へ。大学、就職先で不動産や都市計画を学んだ後、30歳を節目にUターンを決意した。現在は、都市計画コンサルタントとして働きながら、ライフワークでも地域活性化のために活動中。故郷を愛してやまない山中さんが考える広島、理想とする街の未来とは。

Uターンのきっかけを教えてください。

小学生の頃、家族で行った福岡旅行でまちづくりに興味を持ちました。当時福岡は都市開発が進んでいて、福岡ドーム(現ヤフオク!ドーム)ができたり、キャナルシティ博多が完成したりして、今でいう広島駅前再開発のようなまちづくりがすでに始まっていんです。広島とのギャップに衝撃を受け、「自分の街を何とかしたい」と子どもながらに感じたことを覚えています。それ以降は、関連する書籍を読んではさまざまな情報を収集。福岡や神戸、東京などに出掛けてまち歩きしているうちに、広島のまちづくりを担うことが将来の目標となっていったんです。
「35歳までにUターンし、広島のまちづくりに関わる」。自分なりの将来設計を立て、東京の大学へ進学しました。在学中は、東京近郊の街や商店街のフィールドワーク、広島の都市イメージの分析など、都市計画について研究。大学卒業後は、そのまま東京に残り、オフィスビルや商業施設等の不動産開発をする企業や東京都内の自治体でまちづくり関連業務の経験を積みました。そして、30歳を目前にした2015年に結婚。自身の働き方や二人の将来を考えたとき、「このままでは東京に根が生えて故郷へ戻れなくなる」と思い、妻と相談した結果、広島へ戻る決断に至りました。

東京にいながら就活。具体的にどんなことをされましたか?

2016年1月から転職活動をスタート。3月には現在の職場である (株)荒谷建設コンサルタントに内定しましたが、決まるまでは正直、厳しい道のりでした。
Uターンを決めてからすぐ、東京の有楽町に「ひろしま暮らしサポートセンター」の相談員・平野奈都子さんを訪ねました。もともと平野さんとは、東京の移住関連イベントで出会い知り合いでしたので、帰郷することを伝えるとともに仕事について相談し、広島県と繋がりのある転職エージェントを紹介してもらいました。しかし、広島ではまちづくりに関係した仕事は非常に少なく、希望通りの求人はほとんどありませんでした。

他にも、転職サイト、ネット検索で探した企業、まちづくり関係に携わっている知人の紹介、さまざまな方法で20社くらいは履歴書を提出しました。後がないという焦りから、経験のない業界や企業へも応募したのですが、もう全然ダメで。そんな中、平野さんをはじめ、県の方々の存在は僕にとってとてもありがたかったですね。純粋に僕の話を聞いてもらうだけでも心強かったですし、他の人の就活の話、他業界の求人など、フラットな視点の意見をもらえ、自分の視野を広げることができました。

広島に戻られてからはどんなことをされていますか?

最近は、広島や福山でエリアマネジメントの業務に携わっています。エリアマネジメントとは、分かりやすく言えば、地域の方々と一緒にまちづくりをする活動のこと。地域のにぎわい創出のために、街並みや商店街、自然、文化、コミュニティなど、その地にしかない、ありのままの環境や資源を生かし、街を魅力的に生まれ変わらせるための支援やイベント、プロモーションの展開を行っています。また、仕事以外にもライフワークとして、広島を拠点に生涯学習を推進する「ひろしまジン大学」の授業をサポートする運営スタッフ、国内・海外のパブリックスペースの活用アイデアなどを発信するウェブマガジン「ソトノバ」の広島支部スタッフとしても活動中。Uターンして以降、仕事もライフワークも目標としていたまちづくりに関わることができています。

離れて見えた広島、Uターンして見えた広島は?

まず「広島について分かってなかった」ということ。東京にいた頃は各地のまちづくりにアンテナを張っていましたが、広島の情報だけはほとんど入ってこなかったんです。耳にするのは福岡や四国、東北といった他のエリアの情報ばかり。「広島のまちづくりは全然進んでいないんじゃないか」とずっと感じていました。実際に戻ってみると、小さなコミュニティで地域活性化の活動が行われていたりして、他の地域と比較しても活動内容やまちづくりへの熱さは変わらないなと。広島市中区の袋町公園で開催されている蚤の市「トランクマーケット」は良い例で、地元の人にとっては当然のようなイベントかもしれませんが、実はマーケットを基点とし多面的なまちづくりを進めている、全国的にも先進的な取り組みだったりするんですよね。こういった活動を地元の人にも分かってもらえたら、広島の街の魅力をもっと引き出せるんじゃないかと思います。

反対にUターンして見えたことは、広島は良くも悪くもコミュニティが小さいこと。
個々のコミュニティは積極的に活動しているものの、コミュニティを越えた活動をする人が、まだまだ少ないように感じています。横の連携ができると、もっと面白い動きができるんじゃなかなあと。それに、広島って都会ではありながら小さな街なので、意外にすぐ誰かと繋がるんですよね。同じような活動をしている人が「知り合いです!」みたいな(笑)。
だから、精力的に活動する人たちを、一つにつないでいく基盤や環境ができれば、この街の可能性はぐっと広がりますし、そういうものを創るお手伝いができたらいいなと思っています。

これからからどんなまちづくりをしていきたいですか?

広島のような大都市では、いわゆる“都会を目指す”というまちづくりが主流でしたが、これからは日々の暮らしの質を上げ、心の豊かさにつながるまちづくりへシフトしていくと思います。県外や海外からの観光客を案内するにしても、世界遺産の宮島や原爆ドームへだけではなく、川辺のオープンカフェでのんびりお茶をして、本読んで、地元の方々とお話をしていただく。こうした何気ない広島を体験できるような観光スタイルを発信することが大事なのではないでしょうか。

広島には海や川、山に囲まれて市街地が形成されているため、自然が身近にあり、さらに自転車で気軽に移動できたり、フェリーに乗ればすぐに島まで行けたりするなど、「日常」の中に「非日常」となる旅の観光資源が豊富。それぞれの場所のライフスタイルを体験できる街にしていけたら、数ある魅力的な都道府県の中から、広島を選んでもらえるんじゃないかなと。そんな広島の日常を生かしたまちづくりをしていきたいです。

東京と広島の暮らしの違いはありますか?

とにかく便利! 東京はショッピング一つにしても、靴は新宿、洋服は渋谷、雑貨は上野というように、山手線に乗って、乗り換えてようやく目的地にたどり着くのがあたりまえ。何をするにも一日仕事だったんです。一方、今住んでいる場所は広島駅周辺なので、普段の買い物は徒歩圏内、職場も自転車で通える距離。月に数万円かかっていた交通費がゼロになりましたし、紙屋町や八丁堀といった1つのエリアですべての用事を済ませることができるようになりました。このコンパクトさは東京で生まれ育った妻も気に入っています。

移住して1年、妻の様子が少しずつ変わってきました。移住したての頃は、「なんか田舎」と言っていたのですが、今では「自然や川が近くにあって落ち着く」と言うようになり、広島の暮らしに馴染んできているように思います。こうした変化もあって、2人で県内を旅するようにもなりました。最近は、日帰りで江田島市や大崎下島の御手洗へ行きましたね。市内に住みながら、1日あればちょっとした旅を楽しめるのは広島ならではの魅力です。

移住を考えている方へのメッセージを!

自分から情報を取りにいかないとほしい情報は手に入らない。移住にしても、転職にしても、人によって必要な情報は異なります。つまり、自分で情報を開拓することが大切。漠然と「地元いいな」「帰りたいな」と言っているだけでは、何も変わらないんです。だからこそ、最初の一歩を踏み出して。そのためのきっかけとして、移住関連のイベントはおすすめしたいですね。広島出身のスタッフがいますから、現地のこと、他の移住者の情報、地元企業についてなど、話を聞くだけも、自分は何をすべきか、本当に移住をすべきかなど、おのずと見えてくるはずです。
もし、移住したい、地元へ帰りたいと思っているなら、早く動いたほうがいいです。動いたところで何かを失うわけでもないですから。そういう人のために、相談窓口や支援制度といった環境はしっかり整っていると思いますよ。

平日

6:00 起床
7:00 出社
7:30 出勤
8:40 始業
17:30 終業
毎週水曜日はノー残業デー。妻とマツダスタジアム周辺を散歩
20:00 夕食
24:00 就寝

休日

7:30 起床
10:00 映画を観るなど趣味の時間
12:00 妻とお出かけ
ショッピングやまちづくりのワークショップ、ときには小旅行へ
18:00 帰宅
19:00 夕食
23:00 就寝
山中 佑太さん

関連インタビュー

INTERVIEW

アビ 会員特典を利用する! 無料 会員登録
サポート窓口/お問い合わせ