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INTERVIEW

「ありがとう」でつながる絆を大切にしたくて宮島でパン工房を創業。 「困っていること」に寄り添いあう関係が地域の活性化につながれば。

野村 直さん

東京都 → 広島県
2008年
1970年生まれ おひさまパン工房 経営 家族3人 (妻・息子)

「ありがとう」と言い合えるお客さんとの関係づくりに憧れ、食品会社の商品開発をしていた東京でのサラリーマン生活に終止符を打ってUターン。想いを実現する「人とのつながりが強い場所」として選んだのは、日本三景・世界遺産の宮島。島民や観光客との「ありがとう」の環が広がってきている。

このインタビューは、2016年1月に取材したものです。
野村さんは、宮島の「おひさまパン工房」を2016年12月に閉店され、新たに廿日市市内で地酒と薪窯パンと日本ワインのお店「おひさま」をオープンされました。

広島にUターンされた経緯は?

僕は、東京で某食品会社に勤めていました。大学での専攻も活かせると思って入った会社で、海外業務や商品開発を担当していました。会社で、あるマーケティングの研修を受けさせてもらう機会があったのですが、その時、妙に「ありがとう」という言葉がひっかかったんです。当時の仕事は、消費者ではなく法人が顧客。僕がある商品を提案して、お客さまから「じゃこれを採用しましょう」と言われると、僕は「ありがとうございます」と言って、お客さまからは,「お疲れ様」と返ってきます。開発した商品を消費者が食べるシーンを見ることもなければ、評価を知るすべもなくて、くすぶった思いが続いていました。
でも、お互いに「ありがとう」と言い合える仕事を創ろうと思えばできるし、「お客さん」は自分で創り出すことができる。そのために「マーケティング」があるのだと気が付きました。当時いた会社の上司も社長も、みんな良い人ばかりで,不満は全然ありませんでした。しかし、「ありがとう」と言い合えるお客さんとの関係づくりに憧れ、具体的に何をやるということは決まっていませんでしたが、退路を断つつもりで、会社を辞めることを決意したのです。

退社してからは、想いを形にする場所探しから始めました。それまで住んでいた杉並区(東京)では、とにかく人が多くて何をするにも並びます。まずは東京じゃないなと思って、一番に思い浮かんだのが、僕の生まれた場所・広島です。
広島といっても広いですが,僕が生まれ育った五日市(広島市佐伯区)はある程度の住宅街だし,人間関係などの面では東京と大差ない。もっと人とのつながりを強く持てそうな場所はないかと探していた時に,宮島を思い出しました。
宮島はフェリーと本土で結ばれた離島で、毎年人口が減っていて過疎地域に認定されています。そういう所であれば,同じ人と何度も顔を合わせる機会が多くなって,人間関係や信頼関係を築きやすいのではと勝手に想像して,宮島で「何か」をやろうと決めました。

家族も一緒に移住されたのですか?

はい。妻は、人間関係の希薄な都会生活に嫌気がさしていたことが後押しとなったようです。
最初は、宮島の対岸・廿日市(はつかいち)の市街地に引っ越して、これまでの貯金で生活をしていました。妻も私も、それまで商売を経験したことはなくて、「商売」イコール「危ういもの」という固定観念があるなかで、信念をどのように形にしようかと模索していました。
当時小学生だった長男は、「お父さんは会社を辞めて、毎日自転車に乗ってどこかへ行っているけど、一体何をしようとしているのだろう?」と思っていたでしょうね(笑)。
妻は、僕のやりたいことのイメージは理解してくれましたが、まだ研修で学んだことを形にできていませんでしたので、言葉や行動で理解してもらうのは難しかったです。家族がバラバラになるのは嫌だし、「どうか信じてください」と頼み込んだ感じでした。正直、迷惑をかけました。

パン工房を立ち上げると決めたのはどのような理由ですか?

とにかく「ありがとう」と言ってもらうためには感謝されないといけない。この土地で、困っていることに手を差し伸べるといっては偉そうですが、寄り添う事ができればと思い、課題を探しに宮島に通いました。
公民館で料理教室に参加したり、学校や旅館・ホテルを訪問したり、道行く人に声をかけたり・・・もちろん僕ではどうしようもないこともたくさんありました。
そんな中、高齢者の独り暮らしが多いことに着目しました。特に買い物は大変で、雨の日なんてほとんど外には出られません。それに料理をしても食べきれなかったり、せっかく買った野菜をくさらせ捨てちゃったり、そもそも料理自体「したくない」という人が多いです。ここは町屋作りで壁屋根が隣接しているため火災が起きると大変なので、みんな火のそばに立ちたくないんですって,怖くて。
パンだったら、火を使わなくていいし、柔らかいし、具がはさんであれば1つで満腹になる。そんなことで、パン屋をやろうと決めました。広島に来て半年が経つ頃でした。

パン製造の技術はどうやって身に付けられたのですか?

東京にある「日本パン技術研究所」の100日間コースに参加しました。家族を残し、しかも東京に行ったわけで、当時は、「お父さんは家族を捨てて…」と散々言われました。参加してみると、僕みたいな素人が参加するようなものじゃなかった。もともとパンメーカーさんの研修施設ですから、一定のレベルにある技術者に対してさらに高度な技術を教える内容で、始めは全然ついていけませんでしたが、なんとか歯を食いしばりました。
技術の習得以外に良かったことは、寮生活です。100人くらいが寝食を共にし、いろんな事を一緒にやって、絆が強くなりました。広島に帰ってきてからも、当時の仲間が商品開発にアドバイスをくれたり、店を訪れてくれたり、今もその絆は生きています。
どんな仕事も同じでしょうが、いい意味で色んな人を巻き込んでくことは、とても大事なことです。美味しいものをつくりさえすれば良いとか、すごいサービスを開発するのが偉いとかではなく、お店のある地域の人、応援してくれる家族、友人、間接的に口コミしてくれているお客様など含めて、人の絆ってありがたいです。

パン工房の開業に際して工夫されたことはありますか?

普通のパン屋じゃ、面白くない。そこで考えたのが、木(薪)を使って焼くパン屋さんでした。薪を使って石窯でパンを焼くと中まで一気に火が通るというメリットもさることながら、宮島を含む廿日市市(はつかいちし)が木の町だったこともきっかけです。
宮島を回っている時に、宮島名物であるしゃもじを、しゃもじ屋さんが作るときに出る端材の問題に出くわしました。なんと、一つのしゃもじ屋さんで、端材を捨てるのに年間100万円くらい掛っているそうです。僕にとっては、喉から手が出るほど欲しい有益な資源です。
ですが、たとえ要らないものだとしても、知らない人からお願いされるとやはり引きますよね。そこに共通の仲の良い人が間に入って交渉していただくと、不安材料はグッと減る。失敗を繰り返しながら、そういう地域のつながりを学んでいきましたし、今も大切にしています。薪も薪窯の石も、そしてこのお店の場所も、人とのつながりのお陰でよい条件で利用させていただけることになりました。

逆に、僕はここで木を燃やした後に出る灰を配っています。春の時期は、山菜がたくさんとれるのでアク抜き用に家庭に持ち帰る方も多いです。
この島で商売し始めて思ったことは、もちつもたれつというか、互いが良くなるように、いい意味で利用しあうことが、信頼につながり絆も強くなるような気がします。それによって情報もたくさんは入ってきます。
はじめは、宮島ではスーパーも値段が高いなーと思っていました。でも、そこで買えば、宮島の農家さんが潤う。パンの材料にも、宮島のものを取り入れるようになりました。利用させてもらうことで誰かが潤うと、それはまわり回って自分たちにも返ってきます。逆もしかりです。

よそにはない、宮島の魅力は何ですか?

本当にたくさんの笑顔をもらえることです。
宮島は、世界中から人が訪れる観光地です。一言でも外国語を覚えて、外国の方と会話ができると嬉しいですし、多くのお客さんから「ありがとう」と言ってもらえ,またそのお友達が来てくれて、いい関係が拡がっていく,こんな幸せなことはないです。
そして、友人や知人、海外出張の時にお世話になった人が、全国・海外から宮島観光にやってきて、僕の工房に足を運んでくれます。幼稚園の時の先生と40年ぶりに再会もできました。
さすが世界遺産の宮島の恩恵は大きいです。これは他の地域では,なかなかないことではないかと思います。

宮島での生活はいかがですか?

パン工房の運営は、最初は要領が分からなくて、工房で寝泊まりしながら、午前0時から1日20時間くらい働きましたが、今は、早い時には17時ごろ自宅に戻り、子どもとご飯を食べて、お風呂に入ってという生活です。
東京時代と比べ、労働時間は今の方が短く、通勤ラッシュもないので快適です。肉体的にはしんどいですが、毎日自分が上手になっていると実感できるのは楽しいです。
離島なので、島から出るにはフェリーに乗らなくては行けなくて・・・、船を持っていればいいんですけどね(笑)。でもフェリーは5分おきに出ているし、乗船時間も10分程度。JRや私鉄(広島電鉄)にもすぐアクセスできます。宮島から広島市中心部にも1時間くらいで通勤できますよ。
それから僕は仕事も兼ねて、家族で島巡りをするんですよ。
車で本土に渡れば、江田島や、とびしま海道、しまなみ海道の島々へ気軽に行くことができます。
瀬戸内のレモンなどの柑橘類、いちじくやオリーブなど,いいものや面白い人がたくさんいます。他の島で同じような活動をしている方々とイベント出店等を通じて,交流が増えています。

地方移住を検討中の方へ、メッセージをお願いします。

地方移住に向いているのは、人が好きでいろんなことに関わることが好きな人でしょうか。
人付き合いが出来ない人はどこに行ってもダメだと思います。宮島は、特に人付き合いが濃いです。消防団員になったり、町内会で役員を引き受けたり、地域の祭りやクラブ活動に積極的に取り組むことが求められます。大変そうですが、飲みの席も多くて案外と楽しいですよ(笑)。
それから、商売しないと移住できないとか,自営業ならフルタイムで働かないとダメなイメージがありますが,それだとハードル高いじゃないですか,農業や漁業は特に。
たとえば,移住して宮島で会社を持てたら,観光地だからみんな喜んできてくれるし、名刺出したら「おーっ!」となりますよ(笑)。

宮島は、インフラをきちんと整備すれば、インターネット関連の企業だったらどこでもできるのではないでしょうか。通勤だって、廿日市市内や広島市内は1時間圏内ですから。
僕の場合は、遂げたい思いがあって、人の役に立ちたくて、それがたまたまパン屋だった。
生活するために起業するとか、好きだから勝手にやるというのでは、続けていくのは厳しいかもしれませんが、自己満足のためではなく、人のため社会のためになると思えばどうにでも頑張れると思います。
僕は、宮島ではまだまだ新参者なので,なにもかもお膳立てしてあげるというわけにはいかないけれど、もし宮島での暮らしに興味のある方がいれば、相談に乗っていきたいです。

野村さんの一日の時間の使い方(営業日)

5:15 起床、出勤
5:30 工房へ到着、仕込み
10:00 パン工房OPEN
17:00 帰宅
家族と過ごします。

野村さんの一日の時間の使い方(定休日:日月)

6:00 起床
お休みは2日間。1日は仕込みですが、もう一日は、家族と買い物に行ったり、他の島などにいきます
7:00 島外へ出発。この日は車で尾道市の百島へ
宮島発フェリーの始発は5時台からあります。
7:30 フェリーで宮島口に到着
9:00 高速道路(山陽自動車道)経由で尾道港に到着
尾道発の百島行きの船では、車の乗降ができないため、車は駐車場に置きます。
9:20 尾道港から百島行きの船に乗船
9:44 百島(福田港)到着
レンタサイクルを借りて島内を散策がてら、パンの素材探しをします。この日は「百島いちご」の農家さんを訪ねました。
12:00 「ART BASE 百島」で鑑賞、ランチ
世界的な現代芸術の拠点「ART BASE 百島」の展示は必見。事前予約すると、地元の野菜をふんだんに使ったおいしいランチが食べられます。
13:41 百島(福田港)発
14:29 尾道港到着、尾道市街地を散策
18:00 自宅着
野村 直さん

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