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INTERVIEW

キャリア官僚からの転身 地方にいて自分の人生を輝かせるチャンスが減ることはない

中村 麗子さん

東京都 → 広島県
2000年
1970年生まれ 司法書士法人SOLY 代表社員/司法書士 独身

法務省の官僚として多忙ながら充実した日々を過ごしていたが、自分の存在意義を感じられる生き方を求めて、職を辞し、学生時代を過ごした広島に移住。司法書士事務所を開業し、地域に密着した深い関係性のもとでの仕事をしながら、気持ちのゆとりが社会貢献意識につながっている。

東京から広島に移住される経緯はどのようなものでしたか?

山口県下関市出身で、高校・大学時代を広島で過ごしました。
法務省に入省して東京暮らしを始めたのですが、その頃は、オフィス街をスーツ姿で歩いたり、日比谷公園でランチをしたりする日々に「自分も社会人になったんだなあ」と好奇心がいっぱいでした。また、一日の大半を霞が関の官庁街で過ごしていたので、学生時代とは違って、身が引き締まる緊張感もありました。業務内容はもちろん初めてのことばかりでしたが、周りの人の責任感の強さに感銘を受け、「自分も頑張っていかなければ!」と日々に充実感 も感じていました。とはいえ、体力的には、早朝から満員電車で通勤し、終電で帰るという生活に徐々に疲れを感じていたのも事実です。

法務省では「矯正局」に所属し、入省して10年間はキャリアを積むという観点から、毎年、勤務先部署が変わり転勤も繰り返していました。全国の刑務所や少年院などの現場勤務もあれば、国連と法務省の提携機関で海外要人の研修のサポートをしたり、霞が関では人事や給与等の総務関係の仕事をしたりと、バラエティに富んでいました。
中でも現場勤務においては、弱冠20代前半で現場のベテランさん達を管理する立場になったこともあり、プレッシャーの中、経験値の低い自分が矯正施設の改善や、そこに勤務する人々の待遇改善のため、自分自身にいったい何ができるのかと、悩む日々も続きました。
また法務省勤務中に、人事院による派遣制度を利用させていただき、大学院で民事法制や刑事政策について学ぶ機会を得ることもできました。
その後、法務省での勤務に戻りましたが、自分なりに「自分の今後の方向性」について考え、職を辞す決意をしました。組織の中での存在意義を見出すことができない自分に、気持ちの上でも行き詰まっていたのだと思います。大学卒業後7年間働いて、30歳を迎える年の出来事でした。
年齢的なこともあり、企業等に再就職することは頭にはなく、独立しかないかなと思っていました。そして、開業・独立するなら、学生時代を過ごした広島がいいなと思っていました。
実家のある山口県宇部市は、自分自身は住んだことのない街でしたし、一方で、広島は、学生時代に住んでいたので、居心地の良い街であることを肌で知っていました。どこへでも、思い立てばすぐに歩いて行けるような「こじんまり感」も気に入っていました。
また、仕事をする上でも地の利を感じましたし、学生時代の友人もいたので、不安が少なかったこともあります。
それに、「仕事する地」ということで広島を思い浮かべた時、中国地方の拠点都市でもありますし、官公庁や企業などの多くの機能が中心部に集約されていることから、「ここでなら仕事も生活も営んでいける」というイメージも湧きました。

広島での生活はどのようにスタートされましたか?

広島に移住し、司法書士の資格試験に向けて、これまでの貯金を切り崩しながら1年間過ごし、ありがたいことに合格できました。
独立にあたっては、先に開業していた先生の事務所をシェアさせてもらうことからスタートしました。自宅で開業される方も多いのですが、当時の私には、自宅兼オフィスという考えはあまりなかったように思います。
「広島で仕事をする」というイメージができていたとはいえ、今のようにホームページ等の媒体もあまり普及していない時代でしたので、自分の足で仕事を取ってきながら、ご縁を頂いた一つ一つ案件を一生懸命こなして、少しずつ信頼を得ていくことの繰り返しでした。
その後、司法書士業の法人化が認められるようになった平成15年に、事務所を法人化に踏み切りました。生来、新しい事にチャレンジすることが好きな事と、スタートしたばかりで失うものが何もないという妙な強さがあったからでしょうか。法人化は県内初のケースでした。

地方ならではの「仕事のあり方」というがありますか?

現在、業務的には、高齢化社会の影響の下、相続のお手続きや、成年後見制度関係の仕事が増加しています。こうした仕事は、年々件数も増える一方であり、また、継続的な仕事であることから、一人の人間ができる範囲は限られています。今後ますます、成年後見制度の担い手の必要性が増していくことだと思います。
移住を検討されている方にとっては、「中山間地域」での開業は、展望のある選択だと思います。士業の業界でも、中山間地域では、専門家の平均年齢が高いと思われますし、引退を控える先生も多いのではないでしょうか。
人口自体も少ないかもしれませんが、専門家も少ないため、結局は、地域に密着し深い人間関係を築く中で、納得のできる仕事ができるように思います。地方の実情を考えるとき、若い士業人材がまだまだ必要とされている場所であると断言できます。

また、広島は、東京などの大都会に比べると、司法書士の人数自体は少ないことから、同業者の団結力や、助け合いが行われやすいという利点があるように思います。一人で開業される方にとっては、相談できる相手がいるというのはとても心強いことだと思います。
東京では、どちらかというと個の力が強く、個々人が自分のテリトリーを築いていくという印象があります。大きく成功する人と挫折する人が、割合明確なのかもしれません。
また、東京で士業を始めようと思えば、同業者の母数が多いことから、業務を専門的なものに特化していかなければ、なかなか生き残れないという面も強いのかなと思いますが、広島では、どちらかといえば、司法書士は、街の法律家として「とりあえず、困ったことがあったら相談してみてね」というスタンスの下、相談者の生活や人生に密着した、深い関係性のもとでの仕事ができやすい状況にあるように思います。

広島の街暮らしはいかがですか?

オフィスまでは徒歩でも十分可能ですが、自転車が好きなので、自転車通勤が容易なことは嬉しい事です。空の青さを感じながら、10分自転車を走らせると、オフィスに到着します。
住まいは、広島の中でも特におしゃれなカフェや独特の雰囲気のある雑貨店などが多数点在するエリアにあります。
東京時代は、満員電車で1時間半、往復3時間揺れる日々。終電を逃した時のタクシー代はお財布に痛かったです。なんとなく気ぜわしさを感じていましたし、時間をお金で買う感覚も多々有りました。
また、今の生活では、一日を過ごす中で、ビジネスとプライベートの時間を両方楽しめているように思います。オフィスは、広島の中心地にあり、ここにほとんどの機能が集約しているので、仕事の前後にジムに通ったり、早く仕事を終えた時には、その足で、映画を観賞することも簡単です。

東京では、様々な機能が点在したくさんの街があったので、何をするにもあらかじめ計画してから、予約してから、という習慣があったように思います。今のように、思い立った時に自由に自分の行きたい場所を決めるといった、発想さえなかったかもしれません。
自然と触れ合い、身体を動かすことが増えました。予め計画をして、気合を入れて行く(笑)というのではなく、思い立った時にふらりといけるのが気にいっています。
仕事柄、お客様の悩みを共有させていただくことも多く、また、感情移入しやすい性格であることもあって、休日も、仕事のことを考えてしまうことも少なくありませんが、そんな時に、気持ちをリセットできる環境が身近にあることは本当にありがたいことです。
毎日、自然を感じながら通勤できる環境もそうですが、 海を渡りサイクリングをしたり、近くの緑があふれる神社やお寺や、世界遺産である宮島等のパワースポットに行ったり。気持ちをフラットにすることが、できやすくなったように思います。
そして、気持ちにある程度の余裕が生まれたせいか、少しでも社会に貢献できることがあればと思い、現在は、「保護司」としての活動も行っています。私が、自分の一生で関われる方の人数はごく僅かですが、関わった人に対しては「少しでも、その人の人生の質を高めるための役に立ちたい」と思っています。司法書士業とも共通する想いです。

移住検討者へメッセージをお願いします。

もしも、あのまま法務省を辞めることなく東京に住み続けていたら、自分のライフスタイルはどんな感じだったんだろうなあ…と考えることがあります。想像するに、おそらく 収入面では安定していたに違いないのですが、日々の業務に忙殺されて、一日一日をこなすことに一生懸命でストレスで身体を壊していたかもしれません。
思い返すと、前職は、業務としては充実感を味わえる仕事でしたが、転勤も多く、定着したライフスタイル築くことが難しかった側面はあったように思います。当時から、東京を終の棲家とする自分の姿は想像できませんでした。
今、広島の地に来て、自分自身の名前と責任で仕事をし、自分の望む時間の使い方ができるライフスタイルを得ることができていることに感謝しています。
移住を検討している方にお伝えしたいことは、地方にいて自分の人生の輝かせるためのチャンスが減るということはない、ということでしょうか。
チャンスは与えられるものではなく、自分自身が作り出していくものだということは、誰しも頭では理解していても、なかなか実践することは躊躇もあるかと思います。
ですが、与えられた既存の仕事のやり方に固執するのではなく、自分自身が生活する環境と調和しながら、何が自分にできることなのか、それが周囲の人にどのように役に立つことなのか、ということを少し探ってみて、そして、自分なりに時代のニーズを解読していけば、自分が輝き、また、人の役に立てる場所が、実は、自分の周りにいくつもあることに気がつけたりするように思います。
自分の置かれている環境を変えたいと思われた方、また、自分自身の人生の新たな扉を開いてみたいと思われた方は、思い立ったその時がチャンスだと思います。是非、チャレンジしてみてください。10年後、きっと「あの時決断して良かったな」と思われるのではないでしょうか。

中村さんのある平日の使い方

8:30 出勤
平和公園の景色を目にしながら、クロスバイクで事務所へ
8:45 オフィス到着、お仕事開始
19:00 仕事終了
19:10 友人と八丁座で映画鑑賞等

中村さんのある休日の使い方

7:00 起床
8:00 市内電車(広島電鉄)で宮島へ出発
JRを使えばもっと早く到着しますが、市内電車は本数も多く、すぐに乗れるのでこちらを使うことが多いです。
9:30 友人と宮島探索
お勧めのコースがあります(^^)
16:00 宮島を出て広島市内へ、買い物など
19:00 繁華街で知己の友人と食事
中村 麗子さん

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