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INTERVIEW

国際的な現代芸術拠点のマネジメントで世界を駆けながら、島民とともに離島の活性化に挑む。

大橋 実咲さん

東京都・岡山県 → 広島県
2011年
1981年生まれ ART BASE 百島 チーフマネージャー 独身

少子高齢化・人口減少が進む人口500人あまりの瀬戸内の離島に設立された現代アートの拠点「ART BASE 百島」(アートベースももしま)。県外・国外から集まった若いアーティストが,人懐っこく温かい島民に受け入れられ,アートを核とした新しい島づくりに向けて,様々な動きが始まっています。

百島へはどういう経緯でいらしたのですか?

私は,地元が京都西陣で大学までは京都でしたが,大学院で広島に来ました。大学院までは染色を学んでいました。
大学院時代に,現代美術作家の柳幸典(やなぎゆきのり)さんが,大学で新しく現代美術の研究室を作ることになりました。
当時私は,伝統工芸をどうやって展開すればよいか悩んでいた時期でしたし,柳先生は美術界では有名な方で,アメリカ・フィラデルフィアのファブリックワークショップ&ミュージアムでレジデンスをされていたことにも興味がありましたので,軽い気持ちで話を聞きに行ったのが始まりです。
柳さんと話をしていく中で,伝統工芸で疑問を感じていたことが,逆に現代美術では伸び伸びできるようにすら感じて,協力研究員という立場で柳さんの研究室に出入りさせてもらうようになりました。

プロジェクトの現場に入ってみると,「現代美術作家はこんな風に作品を作り出すのか」と圧倒される場面も多く,自分は作品を制作するアーティストではなく,作家を支えるマネジメントで力が発揮できたらと考えるようになりました。
大学院を卒業した後は,第一線の芸術を見てみたいと思って東京に行きました。清澄白河にある現代美術の画廊に勤めましたが,忙しく家賃も高くて,なかなか他のアートシーンを観る機会が持てずにいました。また,東京では芸術作品の売買が空中戦のようで,画廊で働いていても芸術が身近にある実感がありませんでした。
その頃,柳さんの犬島での第2期プロジェクトが始まったのを契機に岡山に移住し,プロジェクトを手伝い,そして4年前(2011年)初めてこの島を訪れました。案内してもらった時には,もうここに移住しようと決めていました。笑

現在はどのような仕事をしておられるのですか?

ART BASE 百島には,現在,20代を中心にスタッフが7名います。男性3名,女性4名です(平成26年11月時点)。出身は,広島のほか,群馬,岡山,京都,外国人などバラバラです。
私自身は創作活動は行わず,展覧会開催に係る業務,スポンサー関連の事務,海外での柳さんの作品の展示,また,柳さんの制作助手などを担当しています。
それと,島のみなさんと連携した地域活性化の取組もあります。昨年,島内3地区の区長さんと連携して島内の空き家調査をしましたが,そこで把握した活用可能な空き家や旧映画館などについては,活用に向けて手を入れはじめています。

ART BASE 百島に対する島の方々の反応はいかがでしたか?

最初から皆さんすごく親切でした。「食べるものが無かったら,畑から持って行っていい」と言ってくれますし,困っていることがあったらすぐに助けてくれます。
自分が住む家を探すときにも,いいなと思った家の持ち主の方に島の方が話をしてくださり,電話するとトントン話が進んですぐに貸していただけました。
旧百島中学校は,すごいゴミの山だったんです。それを整理・掃除するところから,地元の活性の会の人たちが手伝ってくださいました。
でも最初から,「現代美術って何?」みたいなところがあって。笑。皆さんの中では,現代美術とかアートというと,どうしても彫刻置きますとかになっちゃうみたいで。笑
アートベースを説明しながら見ていただくと,島民の方々から,「こういうものに出会えるとは思っていなかった」,「そういうことなのか」と感想をいただけるようになりました。まだまだ理解できない方も,当然いらっしゃいますよ,沢山。でも,海外のアーティストも多く来ますし,喜んでくださっている方もおられると思います。

島に変化はありましたか?今後どういう人に来てほしいですか?

島内の人口減少や高齢化などで,次第に伝統的な行事やお祭りが続けられなくなっています。
しかし,その中で,昨年の夏,島民の方とアートベースが協力して,30年ぶりに納涼祭を復活させました。島民の方は,「復活させようと思えたのは,アートベースに若い人達が居るからだ」と言ってくださいました。
それから,来島してくださった方からよく言われるのですが,島にお金を落としたいのに使う場所がない,と。笑。今は,カフェどころか民宿もないので宿泊もできません。
ですから,空家を自分で改修して,島の中にちょっと休憩できるカフェを作れるような方に来ていただけたらうれしいですね。
空き家も,耕作放棄地も,きれいな自然や海産物・農産物などの地域資源も豊富です。やりたいことはたくさんあるので,実行していく仲間が欲しいです。

百島の暮らしの好きなところは?

例えば,仕事を終えて家に帰り玄関を開けると,梅干しや野菜やいろんな食材が置いてあるんです。今では「この野菜はあそこの家の野菜だ」とか,「この梅干しはあの方だ」とか大体分かりますが,最初はびっくりしました。
初めは魚もさばけないどころか何もできませんでしたが,今では魚さばきやもちろん保存食やお菓子まで作ります。
私は喘息もちでしたが,ここにきてからは一度もでていません。新鮮な野菜や京都ではなかなか食卓にあがらなかった魚も食べられるし,空気はキレイだし,健康そのものです。

それから1年に一度,百島の方がとても楽しみにされているのは,運動会。幼稚園・小学校・中学校の子供たちが一緒にやります。全体で20人くらいしかいないので,子供も大人も「出ずっぱり」状態。楽しいですよ。
学校では,子供の人数より先生のほうが多いくらいで,しっかり子供を見てもらえますし,良い子ばかりで。全然勉強している様子もないのに,みんなすごく勉強が出来ます。健康的な遊びがあるから不良にもならない。中には,尾道市中心部から船に乗ってわざわざ通う子もいます。

百島はアーティストにとってはどんな島だと思いますか?

百島は,いろんな芸術家が生活し創作するにはいいところだと思います。島から見える周囲の景色は素晴らしいし,島民の方が芸術活動に理解を持っておられ移住者を歓迎してくださいます。
また,離島ですが,尾道市街地まで高速船で20分ちょっとですし,尾道までいけば新幹線の駅もあるし,広島空港までは30kmくらいです。
離島では無駄遣いをしないので必要なところに重点的にコストをかけられます。私は京都出身ですが,京都にいたころより,百島に来てからの方が,プライベートで東京に行く回数は増えたように思います。
柳さんは,百島をバンクーバー沖のソルトスプリング島のようなアートとマルシェの島にしたいと仰っていますが,この島にはそういうポテンシャルはあると思っています。

◆◆◆現代美術作家・柳幸典と「ART BASE 百島」◆◆◆

◆柳幸典(やなぎゆきのり)◆
1959年福岡生まれ。1991年イエール大学大学院修了。ニューヨークにスタジオを構え,多くの国際展に招待される。1992年の直島コンテンポラリー・アート・ミュージアム(当時)の開館に伴い,個展に招待されたことが始まりで,瀬戸内海の島の魅力に取りつかれ,1995年に銅の精錬所廃墟がある犬島に出会い「犬島プロジェクト」を着想,2008年に「犬島精錬所美術館」完成。2007年から,都市の遊休施設をアートで活用する「広島アートプロジェクト」をディレクション。2012年,広島県尾道市の離島「百島」で「ART BASE 百島」を設立。
◆ART BASE 百島(アートベース百島)◆
現代美術作家・柳幸典氏が2012年に,尾道市の百島で廃校となった旧百島中学校校舎を利用して設立した芸術拠点。柳幸典氏のほか,ニューヨーク近代美術館やイギリスのテートギャラリーのような世界を代表する美術館にコレクションされている,著名な現代美術作家の作品が展示されている。

■柳幸典氏インタビュー■

百島は,美術文化で再生できることを提案したアートプロジェクトの1つです。
島それぞれに,キャラクターがあるんです。そのキャラクターをどう生かしていくかっていうのが,僕は面白い。
百島の場合は,尾道の駅前からすぐ船が出ていて地の利が良い。逆に船でしかいけないことに価値があります。ちょうど船旅が楽しめるくらいの距離ですから。そのようなインフラがあるのは,移住者を呼び込める可能性が残っています。
それに,子供もいるし小学校もある。まだ共同体が生きているので,いったん受け入れられるとすごく協力してもらえるんですよね。廃校があったのも大きな要素です。百島は,可能性があると判断しました。

今後島の活性化のためにどのような人に来てもらいたいですか?

たとえば,美術館が出来て来島者が増えてきたら,若い人がカフェを開業しに来るなど,サービス業が生まれ,徐々に人がやってくる可能性が生まれます。
だから,農業やったりレストランやったりする人に移住してきてもらいたい。百島特有の産業というのはないです。
自ら業を作り出せる人,起業家的,クリエイティブな人に移ってきてもらいたいですね。アートベースはそのためのプラットフォームのような場でありたいと思っています。

大橋実咲さんのある贅沢な日の平日の過ごし方

6:00 起床
6:30 片付けや細々と
7:00 朝食
8:00 職場で仕事
12:00 昼食
皆で自炊してご飯を食べます
13:00 仕事
18:41 仕事を終えて フェリーに乗って尾道へ
  尾道市内で買い出し
19:30 お気に入りのお店で仲間と会食
移住している仲間たちと情報交換もかねて
  最終便は夜早いので 尾道で一夜をあかし 翌朝一番の船で帰ります
大橋 実咲さん

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