ログイン
HOME
INTERVIEW

グローバルなフィールドでステップアップするために生まれ育った東広島へ。 仕事もプライベートも充実しています。

丸本 健二郎さん

大阪・東京→広島(東広島)
2012年
1980年生まれ 株式会社大創産業 情報システム部情報開発1課 課長

東京の外資系IT企業でシステム開発に携わり、グローバルなフィールドで活躍していた丸本さん。2011年の東日本大震災をきっかけに、家族とともに故郷・広島へのUターンを決意。現在は、自身のスキルとノウハウを活かし株式会社大創産業の情報システム関連業務に従事。広島にいながら世界を見据えた仕事ができることを証明している。

東京からUターンされた経緯を教えてください。

生まれも育ちも東広島市です。高校卒業までは地元で暮らし、大学進学のために大阪へ出ました。卒業後、そのまま大阪のIT企業に就職。3年後には、ステップアップのために上京し、データベースやソフトウェア開発やITコンサルティング、ソリューションなどを手掛ける米国企業の日本法人に転職しました。業務はシステム開発が中心で、介護系、EC系、教育系、自動車系の大手メーカーに出向し、企業の方とともに人事給与システムを構築するなど、約5年間勤務。後ろ2年間は、広島に本社を置く自動車メーカー・マツダの社内システム開発に参加。大きなプロジェクトでした。

最初の1年くらいは毎週、東京と広島を往復。平日はホテルに泊まるのではなく、東広島の実家に泊まり、東京と広島の2拠点での生活を送っていたんです。プロジェクトが軌道に乗り始めた頃、東日本大震災が発生しました。当時、私はマツダ本社にいて「大きな地震があったらしい」「東京はすごいことになっている」と社員の方から聞いて。地震のあとには福島原発の放射能物質が、子どもの通う小学校の校庭にまで到達しているというニュースが騒がれ、不安でしかたなかったです。

マツダのプロジェクト終了までまだ1年以上。東京から広島に通うのも大変でしたし、東京の自宅も賃貸だったということもあり、妻と相談して家族全員で広島に引っ越す結論を出しました。この当時は、まだ広島に残り続けることを決めたわけじゃなく、この仕事が終わったらまた東京に戻ろうかなとも思っていました。けれども、実際に広島に暮らし始めるとプライベートがとても充実していると思い、プロジェクトの終わりが予定されたタイミングで、このまま広島に残って転職しようという選択肢が出てきました。

転職活動はいつ、どのような方法で?

転職サイトを利用しました。タイミングは広島でのプロジェクトに終わりが見えてきた最後の半年くらいから。登録サイトのエージェントと会って経歴や希望などを伝えて4、5社紹介してもらった中の1社が現在勤めている大創産業でした。東京で携わってきた仕事はシステム構築までがメインで、運用に関しては別会社が担うことが多く、開発者と運用者が異なることでシステムと企業のシナジー効果が生まれない気がして…。正直、物足りなさを感じていました。そのため、転職するなら一つの会社で最初から最後まで関われるような企業に行きたいなと思い始めたんです。そういう意味で、大創産業は広島にいながらグローバルな仕事が可能な上、会社の未来や時代の変化に合わせて自分たちでシステムを考え、自分たちで運用できる。私にとって理想的な環境がありました。

東京の仕事には未練はなかったですか?

確かに東京にはいくらでも仕事はあります。でも、限られた時間の中でその全てに関われるわけではないですし。しかも、私の場合、1社に出向してプロジェクトが終わると、また別のプロジェクトが始まり、いろんな場所を転々とすることになる。それなら、広島にいても、東京にいるのとそんなに変わらないじゃないか、と。だから未練はなかったですし、むしろ新天地での仕事に対する期待のほうが大きかったですね。

現在、ダイソーの商品や店舗、業績管理に関わるシステムを作っています。国内3,278店舗、海外26の国と地域に1,992店舗、世界5,270店舗(2018年3月時点) ある内、国内と海外の店舗で利用するシステムを構築しています。店舗のスタッフが最大効率で働きながらお客様満足度を高めるために、どのような仕組みにするか、どのようなシステムが必要かを店舗運営責任者と一緒に話し合って進めています。1店舗1店舗の課題を見つけ、分析し、考え、開発し実行する。このPDCAサイクルに携われるのは、やりがいにもつながっています。

ご家族で広島に暮らし始めていかがですか

広島に帰ってきて改めて「生活の豊かさ」の大切さに気付きました。例えば、通勤一つとっても違います。東京では毎日満員電車に乗っていましたが、広島では自転車通勤に。自宅から職場までたった10分の道のりですが、気分転換になってとても気持ちがいい。西条の名所・酒蔵通りが通勤コースなのですが、昔ながらの景観の中を毎日走れるなんて粋ですよね。それもあって休日は自転車に乗るようになりました。しまなみ海道や、とびしま海道といった海沿いのコースや、広島県のHPに載っている山の起伏を走るやまなみコースを交互に走るなど、とても楽しめてます。

山や海が近いのはいいですよね。特に、私はスキーが趣味なので、1?2時間圏内にスキー場が点在しているのも魅力だと思います。実は、スキー場が近いことがUターンのきっかけとして大きかったんです。親もスキーが好きで、それが高じて安芸太田町の恐羅漢スキー場に別荘を建てたほど。昔から家族と一緒に通っていましたから。

また、広島に戻ってきてから釣りも趣味になりました。地元の友達が船を持っていて「釣りに行こう」と誘ってくれたのが始まりです。もともと興味はなかったのですが、やってみると想像以上に面白くて。船で釣りができるなんて贅沢ですし、東京でこんな趣味を持つなんて思いもしませんでした。

公私とも充実しているんですね。

プライベートは完全に充実し、人間関係も広がりました。当社はとてもフレンドリーな会社で、部活があるんですよ。自転車、
ボルダリング、ソフトボール、フットサルなど。オフを楽しむ空気があり、大阪や東京の企業と全然違う雰囲気です。特に、東京の会社はオンとオフがきっちり分かれていて、プライベートには立ち入らなかったですし、隣の課はまるで別会社のようなイメージでした。でもそれが普通だと思っていたので、この会社に来て驚きました。人と人との距離が近く、温かみのある人間関係が広島らしいなと思いますね。

これまで、自分のキャリアを積み上げてきたと思っていましたが、次のステップとして、経営陣が何を考え、どのような判断を下しているのかを理解したいと考えていました。そんな時、県立広島大学大学院経営管理研究科(HBMS)で経営学修士(MBA)が取得できることを知り、2018年4月から通い始めました。ちょうど今1年が終わったところです。人的資源管理、統計学、財務会計、ファイナンス、マーケティングを学ぶことができました、将来的には事業部を任せてもらうことを視野に入れて勉強しています。

また、2019年にはアマゾン・ウェブ・サービス(AWS)が認定する「AWS Samurai」に選んでいただくことができました。これは、AWSユーザーコミュニティの成長やAWSクラウドの普及に大きく貢献し、影響を与えた人に贈られる賞で、2月23日に東京の表彰式に参加しました。Uターンしてからの一番のトピックですね。この賞をいただけたのも広島に帰ってきたからだと思えています。

ステップアップを考えるとき「地元に帰る」という選択肢もあるんですね。

もちろんありますね。私は思った以上にステップアップできたと思っています。「東京で実績を上げていたから広島でもできる」と簡単に考えていたわけではありません。広島でも自分が求める業務ができる会社に出会え、プライベートにも魅力的な環境があったからこそUターンを決意しました。東京でやってきた技術やノウハウが広島で活かせていると実感しています。今、東京で頑張って実績を残している人でも、地方にはさらなるチャンスがたくさんあると伝えたいです。

平日

7:30 起床
8:00 自転車で出勤、始業まで勉強
9:00 始業
打ち合わせ、会議など
18:15 業務終了、個人的な残務や企画資料などを作成
21:00 退社
22:00 勉強
23:00 晩酌をしながらプライベートの計画など
24:30 就寝

休日

7:00 起床
8:00 (春夏秋)サイクリング、釣り、ゴルフ(冬)スキー
20:00 帰宅、食事、ネットサーフィンなど
24:00 就寝
丸本健二郎さん

関連インタビュー

INTERVIEW

アビ 会員特典を利用する! 無料 会員登録
サポート窓口/お問い合わせ