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INTERVIEW

子どもたちが未来に希望を持てるように。 自分の力で漕ぎ出し、自由を感じるSUPのような暮らしを江田島で。

後藤 峻 / 後藤 鮎美さん

東京都→江田島市
2016年
後藤 峻さん(36歳)  一般社団法人「フウド」代表理事 鮎美さん(34歳) 中学校教員

移住の経緯を教えてください。

峻さん)
18歳まで実家のある広島市に隣接する府中町に住み、大学から関東へ行き、卒業後は東京で都市計画のコンサル会社に勤務していました。仕事は忙しく、帰宅は早くて23時くらい。都市計画の仕事はとても楽しかったのですが、いつしか計画だけでなく自分で地域のために行動を起こす側になりたいと思い始めました。

同時に30歳を前に広島にUターンすることを考え始め、「帰るなら仕事でも縁のあった島がいい」そう思って瀬戸内海のいくつかの島々を下見に行きました。なかでも海の自然や資源が素晴らしく、地域のために頑張る若い人が多かった江田島に惹かれたんです。長女がまだ1歳くらいだったのですが、島でゆったりした子育てをしたいという希望もありました。

その時、奥様の鮎美さんは?

鮎美さん)
私は東京で中学の教員をしていて、長女の育休が明けたばかり。夫から「広島に帰りたい。島で暮らしたい」と聞いた時、正直言って「え?今? Uターンするの早くない?」って思いました。

「仕事はどうするの?」と聞くと「なんとかする」と。でも言い出した時はもう彼の中で決定事項であることを、これまでの付き合いの中で知っていましたから、それなら自分が出来る準備をしようと思い、翌年の広島県の教員採用試験を受験することにしました。職場の方に報告をすると「教採を合格してからUターンしたらいいのに」っておっしゃって。それはそうですよね。でも彼に付いて行こうと思いました。

峻さん)
彼女は生まれも育ちも静岡。島に連れて行くことは彼女の両親が反対するのではと思いました。でもお父さんも30代で事業を起こした方。報告に行くと『頑張ってこい』ってむしろ激励されたのが意外でした。ありがたく、心強く、決意が固まったのを覚えています。

江田島での暮らしはどのようにスタートしましたか?

峻さん)
まず有楽町の「ひろしま暮らしサポートセンター」で、江田島の保育園や環境、現地の人を紹介してもらいました。

現地訪問ではまず、そのご紹介いただい方を訪ねて、土地のことなどを教えてもらいました。住まいはとりあえずネットで見つけたアパートを借りたのですが、その後、現地で空き家を購入し、自分たちで1年かけて直し、現在住んでいます。

江田島ではまず「地域おこし協力隊」に就任。江田島の素晴らしい人たちを発信し、江田島の良さを多くの人に知ってもらいたいという思いで、江田島で活躍する人を自分で取材。その3ヵ月後には『江田島人物図鑑』のサイトを作り、フリーペーパーを発刊しました。そして2017年10月から沖美町にある旧集会所をコミュニティスペース「フウド」として再生し、館長として運営を開始。週末は SUPのインストラクターなどをしています。

フウドではどんな仕事を?

峻さん)
ここにはコワーキングスペースや共有キッチンがあり、会員になった人がこの空間を使い、仕事やイベントなどをしています。現在会員は江田島市民を中心に80名。内装や外装は主に島の仲間たちとDIYでつくり上げました。

ここで私は移住希望者のサポートや、イベントの運営などを行なっています。私自身が県外から移住して感じた良い面や悪い面を踏まえ、移住を考えている人と同じ気持ちで相談を受けることができていると思います。

SUPの魅力は?

峻さん)
SUPは江田島に来て初めて体験したのですが、ボード一枚、自分の力で海へ漕ぎだす面白さ、海の上で自由を感じられることにすっかりはまりました。『フウド』近くの自宅から車で2,3分あれば海岸に行けるので、あまり時間のない朝や夕方でもできますし、インストラクターとしてSUPのスクール「えたじまSUP」も行っています。初めての人でもすぐにできますからこの面白さを多くの人に広げたいですね。

僕にSUPを教えてくれた人は今では大親友。彼も江田島の海を愛して広島市内から移住してきた人なんです。家も近所なので、家族ぐるみの付き合いをさせてもらい、今では一番の親友なんです。

鮎美さんの生活の変化は?

鮎美さん)
縁あって現在も中学の教員をしています。東京時代、彼の帰宅は早くて23時。当時の私は仕事と育児をワンオペでやっているような生活で、かなり消耗していました。
江田島に来てからはその生活が一変。夕方に仕事から帰ってきて家族で一緒に夕食を食べ、海岸まで夕日を見ながら散歩をしたり、近所の友達一家と夜通しおしゃべりを楽しんだりして、東京時代にはとても考えられないくらいゆったりとして家族の時間が充実しています。

島の人たちが歓迎し、受け入れてくださったので私もすぐに江田島に馴染めました。大きな転機になったのは2018年の西日本豪雨。島のあちらこちらで土砂崩れがあり、島は何日も断水しました。当時4歳と9ヶ月の子どもを抱えて断水の状態では厳しいだろうと、安芸郡府中町の彼の実家に避難させてもらったんですが、江田島が気になって落ち着かず、1日で島に帰ってしまったんです。そして近所の人と一緒に井戸水を汲んで分け合うなどして、助け合って過ごしました。この時私は、こんなに大変な時でも本気で江田島に住みたがっている自分、江田島がさらに好きになり、離れられなくなっている自分に気づきました。

こうして東京では『消耗』が激しい生活でしたが、現在は、忙しさでエネルギーを消耗しても江田島の自然や人からたくさん『補給』できている感じです。

江田島でどんな人生を送りたいですか?

峻さん)
一言で言えば、『島の子ども達が、未来に希望の持てる江田島にしたい』ということ。我が子も含めて、江田島の子ども達は多分ほとんど高校を卒業すると一度は島を離れると思うんです。だけど離れても江田島を誇りに思っていて欲しいし、できればUターンをして欲しい。たとえUターンできなくても遠くで江田島を愛し、江田島の役に立つような活動をしてもらえたら嬉しいですね。

そのために私自身は、今の江田島での仕事と暮らしを楽しむことが大切なんだと思っています。私たち大人が島で充実した暮らしをしている姿を子ども達に見せていけば、自ずと江田島を愛してくれるはずです。こんなに身近で美しい海と自然を、楽しみながら次世代に繋いでいきたい。そう思っています。

峻さんの平日

6:30 起床 ニワトリの世話
7:00 妻の出勤を見送る
子ども達に朝食を食べさせ支度。保育園へ送る
9:00 フウドへ出勤
移住相談・空き家案内など
12:00 昼食
13:00 打ち合わせ・デスクワーク
17:30 保育園にお迎え
夏はそのまま海でひと遊び
18:30 帰宅、夕食
21:00 寝かしつけ
23:00 就寝

峻さんの休日

7:00 起床
庭の草刈り
12:00 昼食
13:00 家族と海でSUP
17:00 帰宅し、近所の友人宅で一緒に食事
20:00 妻と子ども達は帰宅し、男同士で飲む
後藤 峻 / 後藤 鮎美さん

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