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INTERVIEW

美しい線を追い求め、自分自身が作品を通して伝えたいメッセージにより、真正面から向き合える生き方を目指す

森田 歩武さん

栃木県 → 広島県
2011年
「cocoloya art & coffee」経営 家族4人(妻・娘・息子)

北広島町大朝にある古い農家を改装し,「cocoloya art & coffee」を営む画家の森田歩武さん。
横浜生まれで父親はデザイナー。広島の芸術大学を卒業後,関東各地やフランスで生活した後に選んだのは広島県の豪雪地帯の農村だった。学生時代や東京時代の人脈を活かし,広島市内や関東での個展を開催しながら,地元では,集落の担い手となり,在郷の仲間とつながりながら地域活性化の主要メンバーとして活動している。

どのような経緯で広島に移住されたのですか?

広島はいいですよ(笑)。何がいいかと言って,人とのつながりが心地いいんです。広島の人は“人懐っこい”と思います。横浜生まれですが,広島の芸術大学に入りました。その頃から中国地方は好きで,漠然といつかは住みたいと思ってましたす。
卒業後は,関東をフラフラした後(笑),パリから2時間のところにあるシャルトルという街で印刷会社に勤めていましたが,子どもができたので帰国しました。帰国後は,妻は東京で洋品店を経営し,谷中という街に住んでいました。でも,子育ては田舎でしたかったんですよ。2人目の子どもができた時に栃木に出会って鹿沼市に引っ越しました。
栃木は田舎カフェが盛んなところで,家を借りて私はギャラリーを構え,僕は絵をかき妻は洋服を作って販売していました。
デザインは人間関係で仕事をとるようなところがあって,東京を離れると大きく仕事が減るんです。でも栃木でも家賃はそんなに安くなくてライフコストはかかるのですが,なんとかやっていけました。
絵はそんなに売れるものではありませんから,正直生活は楽ではありません。
しかし,人を感動させようと絵を描いても自分の生き方が伴っていないという思いが強くなったのと,栃木の経験から,もっと田舎でもやっていけるという実感があったので,全国で移住先を探していた時に東日本大震災があり,妻の実家がある広島県にすぐに引っ越しました。

どのように大朝の住まいを見つけたのですか?

広島に引っ越してきた当初は,妻の親戚の家に身を寄せていました。それからすぐに家探しを始めてNPO法人「ANT-Hiroshima」の渡部朋子さんに出会いました。渡部さんには「NPOで市内に空き家を持っているから使いんちゃい。」と言っていただき,ご厚意にひとまず甘えさせてもらうことにしました。
その後,広島県北部の市町の空き家バンク情報を中心に転居先を探しましたが,思うように見つかりません。僕らの希望条件は3つあって,賃貸であること,自宅兼事業所として利用できること,自由に改修できることだったのですが,結局探し出すことができませんでした。
行き詰っていた時に,一度相談した北広島町役場の担当者から,孫の手・猫の手サービス代表の隆司さん(有限会社栗栖建設 代表取締役社長 森田隆司さん)を紹介してもらいました。隆司さんと丸1日かけていろいろ回り,希望にピッタリの空き家を見つけることができました。
その空き家の大家さんは私と世代が近いこともあって,私たちに大きな理解を示してもらっています。今後の展望を話させてもらったところ,格安家賃で住まわせてもらうこととなりました。

2年が過ぎた頃,大家さんから田畑の草刈をやってくれないかと依頼があり,快諾すると「じゃ,家賃いらないから」と(笑)。せめて税金分だけでもと申し出たのですが,「いやいいよ,あんたらも頑張ってるから」と,現在は家賃タダで住まわせてもらっています。
大家さんは,ご家族で関西で生活をされていて,将来的に戻って来られる可能性はかなり薄いそうです。戻れない分,地元への愛郷心もあってのご厚意だと思っています。カフェにリフォームした姿も見て大変喜んでもらいました。

経済的な面ではいかがですか?

都心と比べると,デザイン関係の仕事の仕事量は圧倒的に減るし価格帯も低くなりますが,こちらでは,3万円の仕事をいっぱい見つけることが大事。仕事は選ばなければいくらでもあります。
たとえば,地域の草刈なんかも参加すると日当が出るんです。そのくらいやれる人間が少ない。依頼が多すぎて断っているくらいで,草刈だけでも結構稼げますよ。
去年の春は,林業のお手伝いで山に苗を植える仕事をやらせてもらったりしました。逆に冬場は仕事が少ないので,創作活動に集中したり,個展に出かけたりと,うまくバランスを整えているところです。年に2,3回は,県内のほか,全国各地で個展を開催しています。僕らも試行錯誤で暮らしている途中なので,「もう,これで食っていけます」というのはまだ言えません。
本業の関係で言えば,地元で開催されるイベントのポスター等のデザインなどの仕事などもできますが,画家になろうと思った時から経済的な成功は想定していないので,様々な収入を得て豊かに暮らすことができている現状に満足しています。

現在の生活は創作活動にどのように影響していますか?

僕は絵描きとして,美しさや人間の生きる道って何だろうとか,そういう哲学的テーマに向き合うことが多いです。昔の宗教画とかも大好きですね。みな宗教の違いはあれど,美しさの秘密は,心のなかにある祈りの場所が鍵になるのではと考えた時期があり,ここ何年かは,「祈りの家」というシリーズを描いています。
壮大なテーマを扱って,絵を見た人に何かを感じてもらいたいと,と偉そうなことを発信するのです。でも一方で,都会に居た頃は,自分と家族の生活に満足できていない現実と葛藤していました。
僕は自分の生き方がそのまま作品に表れると考えていましたので,このことが創作活動の「矛盾」として自分の中で徐々に大きくなっていったのです。
人と関わりなしに生きていくことは不可能なわけで,もしできたとしても関わりを深くしていかないと面白くない。ここで生活していると,田舎は深くて豊かだと実感しています。そうした価値観をとるか,お金を稼いで生きることを価値観にするのか,僕たちは前者を選んで満足しています。

家族との日常生活のことを教えてください。

都会では得られなかった豊かさがたくさんあります。
まず,子育て環境には満足しています。うちの子どもは小学生の長女と長男ですが,近所の上級生がうちの子の面倒をよく見てくれています。ですから,うちの子どもも自然と下級生の面倒を見るようになっています。それから大人もよその子を怒るんですよ。地域で子育てする感覚が残っているのは素晴らしいと思います。
妻は妻で地域での人間関係がすぐにできたようですし,私はいろいろな集落行事に参加し,消防団等の役も担っています。神楽団にも入りました。
こんな山に囲まれた田園で暮らしていても,広島市の都心には高速道路を使えば1時間で行けます。日常生活に必要なものは大朝地区の中で手に入るし,ネット通販もあるので困ることはありません。子どもはまだ小さいですが,近所に病院もあるので安心です。

また,広島市内に行けば芸術大学や美術館もあり,東京には及びませんが芸術的な刺激もあります。仕事では東京や広島市内に個展や打合せで行きますが,東京は飛行機が主でアクセスもいいですよ。
“地域入る”ことを条件に集落に受け入れてもらいましたが,近所の助け合いの中で安心して暮らせ,野菜などのいただきものも多いです。色んな人との出会い,温かいサポートを受け,家族とともに質の高い生活を送らせてもらっています。

たくさんの作家仲間とつながっておられるようですね。

大朝地区には,移住者を含めて私と同世代のアーティストやものづくり作家が多く,地域の方と一緒に,空き家が目立ってきた商店街でアートイベントなどを開催しています。
広島県内や関東にも昔からの仲間は多く,栃木や東京,広島市内で個展を開催することもあるのですが,似たような作家仲間の繋がりをもっと拡げていきたいと考えています。この大朝は,ひと山越えれば島根ですから,山陰との地域的なつながりが気に入ってます。山陰には民芸文化の勢いがありますから,島根や鳥取との繋がりを深めていきたいと思っています。

地方への移住を検討中の方へ,メッセージを。

最初の一歩は勢いでしかなく,踏み出せばあとは何とかするしかないし,何とかなるものです(笑)。
なかなか踏み出せない方に伝えたいのは,この地球上どこでも人間が生きて生活しているというシンプルな事実です。大都会の物質的な生活レベルを固定観念として抱えていると,悩むばかりで絶対に上手くいかないと思います。
ここでの生活はずっと仕事をしているようで,体を動かしているという意味で言うと大都会での暮らしよりはるかに忙しいと思います(笑)。でもゆとりがあるんです。要は心の問題で,空気がおいしい,水がおいしい,風景がきれいという,日々の生活のひとコマひとコマの質の高さがあります。
私はどこに行っても大丈夫だという,最初の一歩は根拠のない自信だけで動いており,地方での暮らしでは「人との関わり」をメインに求めていました。何が正しいということはないですが,大きな視点で選択肢を拡げてみてはどうでしょうか。

「孫の手・猫の手サービス」はどのような経緯ではじめられたのですか?

はじめは,地域の宝である吉川の史跡が荒れ放題だったので,「登山道をみんなで草刈りして綺麗にしようや」ということで,地元住民を巻き込んでボランティア活動を始めました。連合会を立ち上げ,個人宅の草刈や墓石掃除なども請負うようになりました。依頼者は地元を出ていった人が多いので,次第に「うちの空き家なんとかなりませんか。」という声が多く寄せられるようになり,空き家の管理を請け負うようになりました。

ボランティアでやっておられるのですか?

瓦1枚割れても雨漏りで家がダメになります。せっかく立派な家屋が朽ちていくのはもったいないし,家を預けたい人と家を探している人を繋げられたら,町の人口減少問題にも貢献できます。今では,あちこちから情報を求めていろんな人が来られます。
県外から家を探しに来られる方は,たいがい町役場に相談に来られます。しかし,役場では,町全体のの個々の家屋やその周辺地域の事情を把握することはなかなかできません。ここで生まれ育ち商売をしている我々は,いろんなところから情報が入ってくるし,この町を何とかしたいという想いが切実にあります。ですから最初の登山道の掃除から変わらずボランティアでやっています。

相談者にはどのような対応をしておられるのですか?

相談に来られるということは,町のチャンスなんです。向こうからわざわざ来てもらえるのですから。
だからその人がどういう生活をしたくて条件は何か,求めているものを徹底的に聞いて,そういう家を紹介しながら一緒に見にいきます。たとえば,お子さんのいるご家庭では,生活のイメージがわくように学校や気になる場所も見に行きます。
なかなか決まらない場合もありますが,「ちょっと待ってみんさい。なんとか入れてあげるけえ。」と言いながら対応してます。(森田)歩武くんは,はじめからどういう生活をしたいかはっきりしていたから,家を見たらすぐに気に入りましたね,早かったですよ。

役場との連携はできていますか?

役場では,こうした一歩踏み込んだ提案は,なかなか難しいことも理解しています。でも誰かがやらなきゃ,チャンスを逃してしまいます。その穴を埋める存在になるべく,役場ともうまく連携をはかれるようにしています。時には相談者の考えとは異なる視点で,本当に豊かな生活をこの町で送ってもらうにはどうするべきかと,個々人の境遇に合わせたライフプランの提案まで行っています。
猫の手・孫の手サービス ttp://www.magoneko.jp/

森田歩武さんの一日の時間の使い方

7:00 起床
午前 創作活動や草刈りなどの仕事
午後 カフェをあけながら創作活動
子どもを寝かせた後,また創作活動

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