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INTERVIEW

新しい自分になるために。 尾道で始めたコーヒービシネスで「誰かにコーヒーを淹れてあげる喜び」を提案したい。

須山祥平さん

千葉県→広島県尾道市
2017年
珈琲豆ましろ 店主

広島市出身。東京や神奈川、千葉で仕事をしていたが「何かを成し遂げたい」と、尾道で起業、そして移住、結婚を決意。人と人をつなげるコーヒーの魅力を広げるため、自家焙煎にこだわった豆を販売。充実した暮らしを手に入れた。

移住の経緯を教えてください。

広島市安佐北区の出身で高校まで広島市に住んでいました。「遠くに住んでみたい」「環境に関する勉強がしたい」と沖縄の大学に入学。1年で休学した後、高校までやっていたサッカーでプロを目指すために東京の大学に再び入学。卒業後は海外駐在をしたくて東京で国際物流会社に就職しました。

就職して3年経った頃からモヤモヤする日々が続いていました。沖縄の大学は1年でリタイヤ。プロのサッカー選手にもなれなかったし、目標としていた海外駐在もなかなかできない。自分ってなんて中途半端な人生送ってるんだろう。そんなモヤモヤした毎日でした。

「何かを成し遂げたい」という思いが湧き、妻(当時の彼女)に「コーヒーでビジネスをしたい」と伝えました。「やりたいことがあるなら、経験しておいたほうがいいよ」と彼女にお尻を叩いてもらって、起業と移住を決意しました。コーヒービジネスを選んだのは、学生時代に凝っていましたし、飲むとその人やその場を和やかにできる、特別なものだと思ったから。趣味の延長ではなくビジネスとして展開したかった。その決意をしたのが2015年でした。

起業をする上で選んだのがなぜ尾道だったのですか?

大都市は競合が多すぎると考え、候補には入れませんでした。私は広島市出身で、妻は大阪出身。西日本の地方都市の中で、人口10万人以上で全国的に知名度もあって観光客も多く、活気がある。それに海の近くで住みやすそうという点で、尾道を選びました。私の出身と同じ広島県ですが、Uターンという感覚ではなく、新しい町に移住する感覚でしたね。

店舗や住居はどうやって決めましたか?

2017年の4月から、尾道市内のゲストハウスに約1か月連泊して住居や店舗を探しました。ネット、不動産屋、自分の足で、尾道中をくまなく見て回りました。住居を本土側の尾道の山の上に見つけて、彼女と結婚。でも肝心の店舗がなかなか見つかりません。当初は尾道の本土側で住居兼店舗の物件を探していましたが、商店街周辺には空き家がなく、車が入れない坂の途中では焙煎機や豆が搬入できないことがわかりました。融資申請のタイムリミットがあったので少し焦りました。そして2017年夏に不動産屋さんのサイトで見つけたのが、ここ向島の店舗です。以前倉庫だったのですが、島の港やスーパーなどが多く人の動きがあるエリア。本土側と橋1本の距離感だったので、やっていけそうだなと思えました。

ゲストハウスに1ヶ月暮らしたおかげで移住前から尾道に知り合いもできていて、今でも仲良くさせてもらっています。家と店舗を探すために2年間で合計10回ほど、尾道に通いました。移住というドラマティックな感じはなく、遠距離の引っ越しをしたという感覚ですね。

起業のための準備はどんなことをしましたか?

まず、カフェではなく、コーヒー豆などの販売をメインとしたお店を作ることに決めました。「立地、集客、単価、利益率、設備投資、運営費、時間…」などなど様々な要素を考慮しどのスタイルならビジネスとして成り立つかという観点からこの決断に至りました。未経験なことで起業することもあって、最初は大変でした。会社員として働きながら、知識や経験不足を補うためにセミナーやイベントに参加しました。他にも、知らないお店に行って店員さんに質問したり、イベントで自分が焙煎したコーヒーを販売したり、ラオスに行ってコーヒー農園を見たり、とにかく学べそうな場があれば積極的に参加しました。平日は通常通り働き、土日は起業準備だったので休みはほとんどありませんでしたが、振り返れば良い2年間でした。

ひろしま創業サポートセンターでは、尾道で暮らすことやビジネスプランの相談に乗ってもらい、創業のための融資は日本政策金融公庫で受けました。店名の「ましろ」は常に真っ白な気持ちで、初心を忘れずに仕事をしたいという意味を込めて命名しました。

開業してビジネスはいかがですか?

2017年の12月に起業し、3~4か月は自分のビジネスの進め方が正しいのか、手探りでした。少しずつ軌道に乗った矢先のゴールデンウィークには、向島に脱走犯が潜伏する事件があり、しばらくの間、島がロックダウン。無事解決して少しずつお客さんが増えた矢先の同年夏には、西日本豪雨の影響で断水などが発生。この立て続けの大ピンチは何とかしのいだものの、なかなかお客さんが戻らない時期が続き、経営的に難しかったのを覚えています。2019年になり、ビジネスにも少しずつ慣れてきて、積極的に動くことを意識出来るようになりました。商品を増やしたり、宣伝活動を積極的にしたりしました。そこから雑誌や新聞などに取り上げてもらったり、口コミで地域の人に広めてもらったりと、徐々にお客さんの数が増えていきました。

2020年はコロナ禍ではあったのですが、「STAY HOME」の影響があり、自宅で楽しめるコーヒーはビジネスチャンス。企業とのコラボ商品やギフトセットを充実させた結果、店舗顧客も順調に増え、オンラインショップも好調になりました。売り上げも利益も前年の約2倍に増えました。さらに、クラウドファンディングにも挑戦するなど、2020年は自分を成長させてくれた一年だったと感じます。
毎日、開店前の早朝から焙煎を始めて、販売、発送など全て一人でやっています。体力的には無理しているかもしれませんね(笑)。

尾道での暮らしはいかがですか?

今年、子どもが生まれました。妻は会社員なのですが、現在育休中。消防団や町内会に入り、できる限り行事には参加しています。昨年は町内会の班長をしました(笑)尾道は移住者や観光客が多いせいか、地元の人は私たちを受け入れてくださり、新しい人間関係が比較的作りやすい環境なのかなと感じます。

子どもが生まれたばかりなので外出が難しいのですが、それまでは休日に近所のしまなみ海道を観光したり、海のそばでくつろいだりしていました。がんばって遠出しなくても、ちょっと車や自転車を走らせれば、観光ができたりきれいな海が見渡せたりする。東京では考えられない暮らしですね。それにビジネスも軌道に乗り、結果が出るようになって、自分自身をしっかり評価できるようになりました。そんな自分を見て、妻も喜んでくれています(笑)

将来の展望は?

「コーヒーのある暮らしを提案したい」ということに尽きます。自分自身のためにコーヒーを淹れて楽しむだけではなく、誰かほかの人のためにコーヒーを淹れて楽しませて欲しいと考えて、常にお店作りをしています。誰かに淹れてもらったコーヒーってなんだかわからないですが、美味しいと感じるじゃないですか。それに人に淹れてあげる時ってコミュニケーションが生まれる時。家族、友人、お客様などに喜んでもらえ、会話が生まれる時間だと思うんです。そのツールとしてコーヒーを活用して欲しいですね。

おかげさまでお客様にも好評で、「ここの豆で苦手なコーヒーが飲めるようになった」「病気療養中の家族がコーヒーに関心を持ち始め、家族にも淹れてくれるようになり気持ちが元気になりました」という感想をいただけたこともありました。人の暮らしの中のコーヒーの役割って大きいんだなと改めて感じ、同時にお客様に支えられていることを実感しています。

平日

6:00 起床、身支度
6:30 家を出る
7:00 店に出て焙煎開始、開店準備
10:00 開店
来店者への販売、発送など
18:00 閉店 
残りの発送作業
19:00 帰宅、娘の入浴
夕食
育児
22:00 仕事の調べ物、準備
24:00 就寝

休日

8:00 起床
朝食
育児
12:00 昼食
自宅でのんびり過ごす
18:00 夕食
娘の入浴
だんらん
24:00 就寝
須山 祥平

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