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INTERVIEW

人とのつながりで移住を実現。町民の一人として地域に交わり、地域愛を育む。

竹内 愛奈さん

神奈川県→福山市鞆の浦
2022年9月
株式会社hitohi社員

地元に愛着を持てず、大学生の時から移住を検討していた竹内さん。10年近く悩んでいるなか、ひょんなことから「とりあえずやってみよう!」と決意します。リサーチを前提とした旅行で訪れた鞆の浦で地元の人との縁を結び、スムーズかつスピーディに移住を実現しました。
祭りなどの地域行事にも積極的に参加することで、自然と地域にとけ込みながら、着々と“地域愛”を育んでいます。

地元愛がないことに寂しさを感じて移住を希望。

出身は神奈川県相模原市で、2015年頃までは地元で暮らしていました。大学を卒業後、店舗やオフィスといった商業施設の内装を手がける会社で施工管理の仕事に就き、社会人一年目の夏に東京で一人暮らしを開始。その後、7年半くらいは東京で暮らしました。

移住について考え始めたのは大学生の頃。地方から上京してきた友人たちと話したり、各地を旅行する中で、「自分には地元愛がないな」と思うようになったんです。

一人暮らしをしたときも、予想に反して地元愛は全然湧かず…。実家があるから帰るけど、地元に帰りたいと思ったことは一度もない。地元愛がないことに寂しさを感じちゃったんですよね。

旅行に行く度、「ココいいかも」と移住について考えていたし、離島が好きだったので、住むなら離島がいいと思っていました。島では時間の流れがゆっくりで、自分が開放的になれる気がして。閉ざされている感じというか、不便さや少し閉鎖的な空気感が逆に心地良かったんです。寒さが苦手なので北上はしないと最初に決めて、当時、移住先の有力候補は奄美大島でした。

計画がすべてじゃない。思いたったら行動するのみ!

移住への想いはありながらも、なかなか一歩踏み出せなかったのは、移住先で何をやるか決めなきゃいけないと思っていたから。自分がやりたいことが何なのか、なかなか思いが定まらず悩んでいました。

そんなとき、ひょんなことから「とりあえず行ってみないと、やってみないと分からない。移住してみて、とにかく何か仕事を見つけて生きていければいいや!」って考えるようになりました。

当時、一緒に働いていた同期が突然会社を退職し、留学に行く準備をしていたと思ったら突然結婚。本人にも周りにも想定外な出来事だったけれど、彼女を見ていたら「なんか幸せそうだな〜」って思ったんです。計画通りに実行することがすべてじゃないんだと思い知らされました。

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現地の人とのご縁が鞆の浦移住への思いを後押し。

2020年頃にGoToトラベルを活用して、宮島や尾道を旅しました。とても天気が良い日だったので山がきれいで、「瀬戸内に住みたいかも」と考えるように。スタジオジブリの作品が好きで、『崖の上のポニョ』の舞台となった鞆の浦へ行ってみようと思い立ち、2022年3月に初めて鞆の浦を訪れました。

事前にインターネットでリサーチして、当時鞆の浦で空き家再生プロジェクトに取り組んでいた『株式会社サンモルト』の小川真平さんに連絡。現地でお会いし、鞆には町内会がたくさんあることや、祭りや神事が毎月のように行われていることなどを教えていただきました。

ただ、当時は紹介してもらえる空き家が少なく、家探しには苦労しそうな予感が…。
仮住まいをしながら時間をかけて改修していくしかないのかな、改修にいったい何百万円かかるんだろう、審査に通るのかななど、悩みは尽きませんでした。

そのとき宿泊した『燧冶』の宿主・羽田知世さんとも連絡先を交換。6月に再訪したときに、タイミングよく羽田さんから空き物件を紹介してもらうことができたんです。
なかなか住む場所が見つからない中で、すぐに住めるすてきな家が見つかり、トントン拍子に物事が進むということが、移住を決意する後押しになりました。

地域に溶け込むコツは「郷に入ったら郷に従う」。

夏には賃貸契約書にサインして、9月に引っ越し。初訪問の3月から移住までスムーズかつスピーディーに進むことができたのは、人とのご縁があったから。初訪問で思った以上に地域の人とつながることができたのは大きなきっかけになりました。
また、「関東圏外」「不便さがある」「その地域ならではの文化がある」「海と山に囲まれている」など移住先を選ぶ際の条件は自分の中で何となく決めていて、鞆はさまざまな条件が合致しました。

鞆は祭りが多いのも重要なポイント。地元にも祭りはあったけど、やる側の人間になりたいという憧れがありました。9月にチョウサイという山車を引き回す「大祭り」があり、引っ越し先の西町は7年に一度の当番町。ぜひ参加したいと思い、予定を前倒しして引っ越しちゃいました!

祭りに参加することを地域の方々は快く歓迎してくださり、地域にとけこむきっかけになったと思います。
祭り以降も、町民運動会や地域清掃、町内会の総会にもなるべく出席するようにしています。「郷に入ったら郷に従え」というのも、移住の醍醐味かなと(笑)。

知人の紹介を通じてさまざまな仕事を経験。

上司には移住を計画していることを伝えていましたが、世の中にリモートワークが浸透し始めた頃ということもあり、働き方を模索してみないかと提案してもらいました。移住先でやりたいことを探したいという私の思いに寄り添っていただき、移住後もリモートワークで仕事を継続することに。
移住先で何ができるかをずっと考えていましたが、なかなか難しく…。焦る必要はないから、一度すべてをフラットにしてからゆっくり考えたいと思い、2023年1月に会社を退職しました。

退職後は、友人の伝手で地域の放課後デイでサポートスタッフとして働いたり、宿泊施設『NIPPONIA 鞆 港町』でアルバイトをしました。23年7月に『NIPPONIA 鞆 港町』を運営する株式会社hitohiの正社員になり、現在に至ります。
さらに、株式会社hitohiが福山市から受託している『鞆まちなみ再生活用相談所』で空き家や移住の相談業務をしています。相談者には意外と同世代や単身の女性も多く、同じ目線でお話しできることで、みなさんの力になれるといいなと思っています。

暮らしと仕事の境界線が曖昧。でもそれがイヤじゃない。

実際に住んでみると、町内には小さな商店が残っているし、スーパーもバスなどで行けるので、不便さは思ったほどありません。満員電車から解放され、歩いて5分で友人に会いに行けるのも良い。同世代の移住者や地元の人ともつながりを持っています。
東京では建築業界の人と付き合うことが多かったけど、福祉など違う業界で働いている友人が増えました。

自宅から仕事場までの距離も徒歩5分。以前は会社の近くに住むのが嫌だったので、あえて電車通勤が必要な場所に住んだりしていました。今は仕事と暮らしの境界線が曖昧で、生活の中に仕事もあるという感じ。でもそれが嫌じゃないのは、鞆だからかもしれません。
自分が暮らす町に愛着を持てていると思うし、旅行に行っても家に帰るのが億劫じゃなくなりました(笑)。

人の支えがあれば何とかなるという心強さ。

接客や相談対応など、これまでにない経験をたくさんして、大変ではありますが楽しさも感じています。東京では、忙しなく働くことが当たり前で、「安定」という言葉に自分自身がとらわれていたのかもしれません。

鞆ではたくさんの人に受け入れてもらい、助けてもらったので、「人の支えがあれば何とかなるかも」という心強さを感じています。
「自分にできることが何なのか」については、これからも模索していきたいですね。

現地に足を運んでみることが移住へとつながる第一歩。

これから移住を予定している方や、検討している方にお伝えしたいのは、勝手に期待しすぎないこと。移住に対して憧れや理想を抱いてしまうものですが、理想と現実にギャップが生まれないようにすることも大事です。

そして、実際に現地に足を運んでみること。地域の本質を肌で感じるためにも、現地を訪れないと始まりません。例えば、地域で家が見つからなかったら、近隣エリアで探して二段階移住をするのもありです。
何度か足を運び、地域に知り合いを作っておくこと。人とのつながりが、一番の安心材料になると思います。

現地の様子について先輩移住者に直接相談してみる

平日

8:00 起床
9:00 NIPPONIA 鞆 港町へ出勤
18:00 退勤
18:30 帰宅
19:00 ダラダラしつつ夕食
20:00 ひたすら映画とテレビを視聴
21:30 友人と夜散歩
23:00 映画とテレビを視聴
24:00 入浴
1:00 就寝

休日

10:00 起床
ベッドでダラダラ過ごす
12:00 やっとの思いで這い出て昼食
13:00 植物のお世話、掃除、洗濯
15:00 ひたすら映画鑑賞
17:00 夕寝
18:00 夕食
19:00 映画鑑賞
21:30 友人と夜散歩
23:00 映画とテレビを視聴
24:00 入浴
1:00 就寝

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