本当にやりたいことは地方にあった。「最先端の里山」で見つけた、新しいキャリア
山陽自動車道・福山東ICから車で約1時間、広島県中東部に位置する神石高原町。標高500~700mの高原地帯にあるこのまちは、人口約7,600人(2025年12月現在)と、県内でもっとも過疎化が進んでいる地域の一つです。
しかし近年、産婦人科やビジネスホテルの誕生など、新たな動きが生まれています。その中心的な役割を担っているのが、地元企業の株式会社MSERRNT(マサーント)。医療やインフラ、教育、レジャー施設の開発から特産品の全国展開まで、幅広いまちおこし事業を手がけています。
今回お話を伺ったのは、東京からIターン移住し、夫婦で同社に勤める藤岡咲季さんと池田瑛一さん。
それぞれ「いつかは自分の関心のあることを仕事にしたい」「いずれは自分でビジネスを興したい」という思いを胸に、東京の大手企業に新卒入社。納得のいくキャリアを積んだ上で転職を考える中、出会ったのがマサーントでした。
縁もゆかりもない土地で、本当にやりたかったことや意義のある仕事に巡り合い、挑戦を続ける二人。その姿は、地方でこそ、自分の関心や意思に沿った生き方が選べることを教えてくれます。
池田 瑛一さん
藤岡 咲季さん
キャリアの節目で見つけた「地域と向き合う仕事」
神奈川県横浜市出身の咲季さんは東京都内の大学卒業後、外資系ITコンサル企業に入社。「最初の就職先は、多くの人と関われる大手企業を選びました」と振り返ります。将来的には自分が本当にやりたいことを仕事にしたいと考え、入社4年目を迎えた頃から転職を検討し始めました。
学生時代から社会課題の解決に興味があった咲季さん。まちおこしに関する企業を調べると、地域と間接的に関わる会社がほとんどだったといいます。「そのときに出会ったのがマサーントでした。自ら事業を立ち上げ、地域の課題に正面から向き合っている点に魅力を感じました」と話します。
とはいえ、神石高原町は首都圏出身・在住の咲季さんにとって、遠く離れた見知らぬ土地。「都内から日帰り圏内にある企業も探してみたんです。けれど、仕事内容や給与面で納得できるところは見つかりませんでした。今後、子どもを産み育てることも考えると、思い切った決断をできるのは今しかないんじゃないかと思い、移住を伴う転職に挑戦しようと決めました」。
27歳、都内で同棲する瑛一さんと婚約中のタイミングでした。
パートナーの瑛一さんは大手金融企業に新卒で入社し、7年目を迎えていました。「いつかは自分でビジネスを興したい」との思いから、幅広い企業に携われる金融業界を選択。
着実にキャリアを築き、課長補佐への昇進を迎える頃、転職を意識するようになっていました。そんな折、咲季さんから「マサーントで働きたい。そのために神石高原町へ移住することになる」と打ち明けられます。
瑛一さんは戸惑いつつも「過疎地にある地方企業で、給与水準が首都圏と同程度…。一体どんな会社なのか確かめたい」と、最終選考を神石高原町で受ける咲季さんに同行。そこで町の人々の温かさに触れ、車で30分ほどの場所にショッピングモールなどの生活インフラが整っていることも知り、「思ったよりも生活できそうだ」と感じたといいます。
次第にマサーントの事にも興味を持ち、マネージャー職として自身も応募することを決めました。そして二人は2024年、東京から神石高原町に移住。同年にマサーントでの勤務が始まりました。
「研究」と「事業開発」で町の未来を拓く
咲季さんが担当しているのは、神石高原町が誇るブランド和牛『神石牛』の研究です。肉質の数値化や遺伝子情報の分析を通じて、理想の味・品質の牛肉を安定生産することを目指しています。仔牛の競りにも同行するなど、地域の畜産農家と密に連携しながら、開発・肥育を進めています。そうして生み出した和牛肉は、『丹下牛』というオリジナル銘柄として販売。10年後には日本一の和牛に育てることを目標に掲げています。
「まちおこしに必要なのは、まちの魅力を掘り起こすこと。さらに、掘り起こした地域産品が食卓の“主役にならなければ、日本中に広げることはできないと考えています。よりおいしい和牛づくりのために、研究を続けていきたいですね」と咲季さんは語ります。
瑛一さんはマネージャーとして、新規事業の立ち上げや運営体制の構築を担っています。レジャー・キャンプ施設や宿泊施設、町内唯一の産婦人科の開設など、これまで町になかった多様な事業に携わっています。
「2カ月に1件のペースで、それぞれ全く異なる分野の事業開発は大変ですが、刺激にあふれています」と笑う瑛一さん。現在は神石高原町産の農産物をECやふるさと納税で全国に販売する取り組みも担当しています。
「正解」のない仕事の醍醐味
咲季さんは、前職との違いについてこう話します。
「前職はBtoB企業で、クライアントにどれだけ価値提供できるかが重要でした。今はBtoCで、消費者と直接つながれる。地域の生産者さんとも関係を築けるところが楽しいです」。農業の担い手が減り、育てられる牛の頭数も減少する中、「この先、何年続けられるだろうか」「続けるためにはどんな施策が必要か」と率直な意見を交わすこともあるそうです。こうした話ができるのも、地域の事業者との距離が近く、信頼関係を築いている証といえます。
前職では“正解”を持っている上司や先輩が常にいましたが、マサーントで取り組む和牛の研究は、会社としても初めての挑戦。「前例のない中で、“このやり方ならいけるんじゃないか”とプロジェクトを前進させる方法を自ら考えて実行していく今の仕事は、性に合っていると感じます」と笑顔を見せる咲季さん。前職で培った、論理立てて説明する力や専門的な内容を分かりやすく伝える力は、今の仕事にも活かされているといいます。
瑛一さんも同様に、前例のない事業を興すことに魅了されています。「前職では、すでに完成されたサービスの“パッケージ”があり、その枠組みの中に営業部やシステム部などの部署が存在していました。業務は細かく分担され、自分が任された領域でどれだけ成果を出せたかが評価される世界です」。
一方、マサーントの仕事は、「“パッケージ”そのものをつくるところから始まる」と瑛一さんは言います。「どうやって収益化していくのか。どうすればお客様に満足していただけるのか。事業を継続させるには、どんな人材が必要なのか。考えるべきことは尽きません。でも、地域課題を解決するための新しい施設やサービスをつくり、地域の方々に喜んでもらえる…。そんな仕事ができる会社は、なかなかないと思います」
瑛一さんは地方で働くことについて「ある意味で、東京よりも難易度が高い」と語ります。新規事業を立ち上げるには地元の理解が不可欠。繊細なコミュニケーションが求められる上、首都圏に比べて人的リソースも限られています。そんな中で熱意を持って町の人々を巻き込みながら新しいものを生み出し、地域に根づかせていくことは、決して容易ではありません。だからこそ、やりがいも大きい仕事だといいます。「都会で働く中で“自分の腕を試したい”ゼロから何を生み出せるのか挑戦したい“と考えている人にはぴったりだと思います」。
咲季さんは「和牛の研究に関しても、ウェブ上にある論文を読んだり、AIを活用したりして知識を深めることもできますが、生産現場にいる方が圧倒的に“生きた情報”が集まります。それも地方で働く面白さだと思います」と話します。瑛一さんも「専門家を県内外から探してお話を聞かせていただくこともありますが、過疎地である神石高原町では業界の一般的なビジネスモデルが当てはまらないケースも多い。基礎知識を学びつつ、どんなカタチにすればこの町で発展していくのかをチームで考えています。そこが難しくとも面白いところですね」と声を弾ませます。
月曜日の訪れが楽しみになる
二人は、心持ちにも大きな変化を感じているといいます。「東京にいた頃は日曜日になると憂うつな気分になっていましたが、今は“明日はあの仕事に取りかかりたいな”という気持ちの方が強く、月曜日が楽しみなんです」と咲季さん。瑛一さんも、「東京では平日と休日がきっぱりと分かれていました。だからこそ休みモードから仕事モードに切り替えるのがしんどくて…。今は休日に仕事の連絡が入ることもありますが、“切り替え”の必要がなくなり、精神的にはむしろラクになりました」と話します。
神石高原町の豊かな自然環境も、二人に良い影響を与えています。「わざわざ星が見えるスポットまで行かなくても、自宅の真上に満天の星空が広がっています。マサーントが用意してくれた社宅は、庭付きの一軒家。庭で花を育てながら、忙しくても人間らしい生活ができていることに満たされています」と咲季さん。瑛一さんは、シンと冷える冬に自宅で薪ストーブにあたるひと時や、晴れた日に窓を開け放って昼寝する休日に癒やされているそうです。「東京に帰省したとき、街の色味のなさや、人との物理的な近さに初めて閉塞感を覚えたんですよね。今では神石に戻ると“帰ってきたな~”と思えます」。
神石高原町で体感した、まちおこしの意義
東京ではショッピングや外食など、お金を払って消費する時間が多かった一方、神石では、有志が集まって『ホタル観賞会』を開き、鮎の塩焼きや焼きそば、ビールを持ち寄るといった光景が日常にあります。誰もお金を受け取らず、それぞれの心意気に成り立っていることに、二人は強く心を打たれたといいます。「こうした地域の営みをなくさないために、まちおこしをするんだと気づかされました。このホタル観賞会のように、経済的な合理性はなくても心温まる風景は、全国どこにでもあると思うんです。地域資源が少ない神石高原町をロールモデルにしてもらえるように、今後もさまざまな取り組みに挑戦していきたい」と瑛一さん。
かねてから関心のあった仕事に思う存分打ち込み、大きなやりがいを得ている二人。自分の仕事が、誰の役に立っているのかがはっきり見える…。それもまた、地方で働くことの大きな魅力です。かつてないチャレンジができる最先端の舞台は、地方にこそ用意されているのかもしれません。