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移住促進は「自分ごと」。広島県竹原市の移住コーディネーター・福本さんが考える地域コミュニティの未来

移住促進は「自分ごと」。広島県竹原市の移住コーディネーター・福本さんが考える地域コミュニティの未来

プロフィール

竹原市 福本博之さん

2009年、東京からUターン。代表を務めるフロービス㈱では亡き父親から受け継いだ葬祭業にとどまらず、里山古民家カフェやコワーキングスペースの経営を行っている。更に、まちづくり会社やドローンやSUPを使った新しい事業をてがけるなど、地域に眠る資源を生かした地域活性化事業を展開している。

――現在、仕事のかたわら移住促進にも関わっている福本さんですが、もともと竹原に帰ってくるよていだったんですか。

いや、そういうつもりは一切ありませんでした。高校卒業時に広島を出て、大学は兵庫県に進みました。広島県内に学びたい分野を専攻できる大学がなかったこともありますが、「広島を出るのは当然」という気持ちもありました。

大学では、高校までの「強制される勉強」ではなく、自分が学びたいことを自分で決めていい、好きなことをいくらでも学んでいいという素晴らしい環境を経験しました。学科が当時ブームになっていた学際分野だったので、環境関係から国際関係、法律、生態学、文化人類学などなど、興味が赴くままに幅広いジャンルの学問に触れることができました。1995年当時でひとり一台専用のパソコンがあって、必要なことはすぐ検索して調べることもできました。 卒業後は東京の会社に就職しました。当時出始めだったカーナビを作っている会社で、就活のときに「私たちは『ナイトライダー』のように、音声でコントロールできる車を作ろうとしています」という映像を見せられて、いっぺんに気に入りましたね。いつも市場の何歩か先を行く会社で、2004年に世界初の車載用WindowsPCを製品化したのですが、残念ながらあまり売れませんでした。新しいものが好きな僕にとっては、いい会社でした。

ですが、2009年1月に父が脳梗塞で倒れ、半身不随で要介護状態になってしまいます。緊急事態ですから他に選択肢もなく、同じ年の3月末に退職して、会社を引き継ぐためにUターンすることになりました。

――本来継ぐつもりはなかったのに、しかも会社員から会社経営者への転身というのは難しかったのではないでしょうか。

何より大変だったのは、会社経営のために必要な情報が父の頭のなかにしかなかったことです。会社のことは働いていた母や家族、社員たちにもヒアリングしましたが、いちばん役に立ったのは取引先やお客様とする父の思い出話でしたね。会社の財務状況も芳しくなく、Uターンして5年ほどは会社の建て直しに費やすことになりました。

父がいないと回らない、いわば属人的な状態だった会社の業務を、社員全員のチームワークで行っていけるように変革しました。誰かが急に休んでも、辞めてしまったとしても、お客様に提供できるサービスレベルが変わらない体制を作り上げるまでに5年かかりました。葬祭式場も、お客様やスタッフの導線などをしっかり考えてリニューアルして、なんとか目途がついたのが2014年の12月のことでした。

それまでも、竹原という地域をなんとか元気づけなければいけないという気持ちはありました。仕事上、街の人口が減っていくのを目の前で見ているわけで、地域のことというよりも自分ごととして、このままだと地域コミュニティ自体がどんどん沈んで行ってしまう。会社のマーケット自体を自分たちがメンテナンスしていかなければいけない時代だ、と強く感じました。

葬祭業という仕事上、直接的な営業活動はなかなか難しい。仮に、ある人から「いざというときはお願いね」と言われたとして、実際に需要が発生するのは20年後なのか、5分後なのか、わからないじゃないですか。ですから、間接的でもいいのでたくさんの人に自分の会社のことを知ってもらうかたちで顧客を開拓しようと考えました。
たとえば、商工会議所やロータリークラブなどの地域活動や、自治体が行う公聴会などの住民活動には積極的に参加するようにしています。

移住コーディネーターとしての活動も、ある意味ではその延長線上です。移住サポートへの取り組みは、2016年に東京で行われた移住セミナーで登壇したのが最初でしたね。僕自身もUターン経験者なので、そこを買われてのことだと思います。

――「地域活性化」という掛け声は全国どこでも聞きますが、福本さんのようなスタンスからの取り組みはなかなかないことだと思います。実際に移住相談にあたってみて、いかがでしたか。

地域が元気で、どんどん新しい人が入ってきてくれる環境があって初めて、僕の事業も持続可能になりますからね。この一年、移住に関する相談を受けることは増えました。県庁や市役所、あとは東京のふるさと回帰支援センター経由のケースもあります。

相談の傾向は、竹原市を決め打ちで来てくださる方から、「なんとなく瀬戸内海側がいいです」という方までさまざまです。漠然としたイメージだけで来る方も多いですから、そこは安心してください。「自然災害や地震が少なそうなところ」という条件で相談に来てくださる方もいました。

実際に竹原市に移住された方は、手に職があって自分でお店を開こう、というタイプが多いですね。全国的に有名な大きな企業は少ないので、普通の会社員としての仕事は少ないかもしれません。

街としての知名度でいえば、長らく観光地としての積み重ねがある尾道にはまだまだ及びません。今あるリソースをしっかり活用していかないと。もっとも竹原市が移住や観光、空き家対策などに本腰を入れて取り組み始めたのはここ数年のことですから、まだ伸びしろがあるともいえます。飲食やゲストハウスなどの市場もまだ未成熟で、移住してきた人ができることはたくさんあります。

――実際に竹原市に移住された方のエピソードなど、ありますでしょうか。

東京や横浜のレストランなどで料理人として活躍していて、現在は竹原市でイタリアンレストラン「Trattoria M」(トラットリア エム)を経営している室岡真人さんとは、2017年に当社のコワーキングスペースで行った交流会で初めてお会いしました。室岡さんはにはもともと独立してお店をやりたいという希望があり、いろいろ候補があった中で、竹原とその周辺の食材や住民の人柄に惹かれて竹原に決められたそうです。

和食の居酒屋だった店舗を居抜きで借りてリノベーションし、和の雰囲気を残しながらモダンなイタリアンに改装。地元の食材にこだわり、身の締まったチヌに合ったレシピや日本酒の開発をすすめるなど、地元にしっかり根づいたお店をやっていらっしゃいますよ。

――最後に、今後の移住コーディネーターとしての活動についてお聞かせください。

あくまでも、移住の主役は移住者の方々自身だと思います。僕たちコーディネーターや地域の人たちが一から十までサポートしすぎてしまうのはかえってよくない。移住者の方が持っているスキルやリソースを活かしてやっていこうというスタンスで来てくれれば、僕たちも竹原にある人脈やリソースを注入して、お互いにとっていい状況を作れるようにしていきます。

県内の移住コーディネーター同士の連携はしっかりできています。コーディネーターがつながるためのSlackチャンネルも先日開設しましたので、「こんな人いない?」「今度こっちに来た移住者さんと、こういうコラボができると思う」というやりとりも、広島県全域でやっています。

移住コーディネーターと移住者で広島県全体を網羅するネットワークを作って、移住を考えている方々をしっかりサポートしていきたいですね。

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