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INTERVIEW

大自然から受け取るメッセージとゆとりある生活のおかげでずっと創作活動を続けてこられている。 私は幸せもんです!

島田 愛子さん

東京都 → 広島県
1974年生まれ 木版画家,「ポロンピーガロン」運営 家族4人(夫・娘2人)

雪深い北広島町大朝にあるアトリエ「ポロンピーガロン」。東京の多摩美術大学卒業後,アトリエを構え,17年前に田舎暮らしをスタートした。
武蔵野美術大学を卒業した夫とともに,自然豊かな環境で木版画家として創作活動に励む。

田舎で創作活動をすることになった経緯は?

学生の頃から,将来は田舎で創作活動を続けていきたいと思っていました。夫も同じ夢を抱き,卒業後すぐに結婚。夫婦で北広島町大朝に移住しアトリエを構えたのが,17年前のことです。東京にいると何かと流行に影響を受けてしまいがちですが,静かな田舎であれば,感性のまま自分の創作に集中できると期待していたのです。
当時は,「東京でないと創作活動ができない」と言われていた時代でした。卒業後の移住計画は,大学の先生にも同級生にも「それではやっていけない」と反対されました。

しかし実際就職できるのは,デザイン系こそ需要があるものの,私たち絵画系(当時は日本画専攻)は,本当にないです。大学4年間は,基本的に芸術を追求していくためだけのカリキュラムが組まれています。そのスキルを職業に活かせるのは,大学教授になる以外に道はないと言っても過言ではありませんでした。私は大学2年生の頃から,創作活動を仕事にして食べていくことに疑問を感じており,絵を描きながら,自分がどういう生き方をしたいのか自問自答し続けていました。自分が求めるものは,もうここ(東京)には無いと,当時から何となく分かっていたのです。
結果的に東京に残った同級生たちは,現実の生活に追われ創作から遠ざかり,自分たちだけが続けられているという面白い状況になっています。

なぜ移住先に大朝を選んだのですか?

移住するなら,敢えて不便な場所が良いと思っていました。自然が厳しく,生活にメリハリのある環境の方が,創作活動への刺激も多く得られる。
この場所は,絵描きだった父が昔アトリエとして使っていました。中途半端なことは嫌なので,呉市の実家に帰らずここを選びました。

都会生活よりもはるかに忙しくて,制作時間をいつどうやって確保するかと,一日24時間じゃ足らないほどです。おかげで,限られた時間でガッと集中する習慣がつきました。
大変ですが,そうした日常を過ごす中で,イメージが湧いてくるというか,無になれる感じで,私たちの期待通り,創作活動にも大いに良い影響を与えてくれていると思います。

創作活動にどのような影響がありましたか?

風を感じたり,太陽の光を浴びたり,外で子どもと遊んだり,そういう中でふっと新たなインスピレーションが湧いてきます。自然豊かな環境に身を置いたことで,都会では決して得られなかったであろう恩恵をたくさん受けています。
夫はこちらで林業を始めました。創作活動に生かせるような自然からのメッセージを受け取れるのではないかという期待からでした。夫曰く,山の中にいると,自分が生かされていると実感できるようで,働いている間に作品へのイメージが湧いてくるそうです。森や自然をテーマにした作品が多いです。山中で「あそこに少女や動物の神様が宿っているよ」という類の話をするのですけれど,そういうインスピレーションがそのまま作品になっているみたいですね。

自然からの恩恵を受けここで感じたことを作品にして,田舎にこもるのではなく,多くの人に伝えたいという気持ちが強いです。自分たちが発信することによって,もしかすると凄く元気になってくれる方がいるかも知れないし,この自然の素晴らしさを共有させてもらえるかもしれません。地域に根付く文化だったり,人に与えてもらう愛情みたいなものだったり,「ここには何にもないけどある」というのを,自分の作品を通して伝えたいのです。

大朝での日常生活や芸術活動はどのようなものですか?

日常の買い物は大朝の中で事足りるし,インターネットで買えない画材や,目で見て触って購入したいものなどは,広島市内で買っています。娘は,朝7時頃の高速バスで広島市内の学校に通っています。広島市内までは高速バスで1時間なので,大自然の中の大朝ですが,100万都市まで時間的にも心理的にも近いイメージを持っています。
芸術活動でいえば,広島市内では,雑貨屋やカフェで展覧会を開くこともありますし,木版画教室開くこともあります。また,地域のいろいろなところで,作品の発表の場をつくって地域の人に観てもらったり,様々な機会に無償で作品を提供したりしてきましたが,それによって,地域の商店や観光施設や行政から仕事が来るようになりました。

それから,北広島町に移住してきた芸術家が十数人集まって,空き家となった旅館や病院などがある地元の商店街で,定期的に芸術イベントを開催しています。みんなでいろんな取組をしながら,上ケ原(うえんばら)をアートの村にしたいという夢もあります。
地方移住を希望する芸術家は多くて,私のところにも直接問い合わせがあることもあります。
若い芸術家は芸術だけで食べていくことは厳しいですが,どこかの会社に就職するというのは嫌うものです。そういう人たちには,地域からの芸術の仕事とともに,NPOや地域の活動,草刈・雪下ろしなどの作業で副収入の見込みが立つといいなあと思います。

田舎のコミュニティへ加わることで苦労したことは?

移り住んで17年が経ちますが,いまだに住民の皆さんからは「外の人」という認識を持たれていると思います。
田舎の方々は皆さん,本当に凄いです。生きていくための知恵を沢山持っておられます。私は無理に「中の人」になる努力をする必要はないし,そもそも努力してなれるものじゃないと思っています。
野菜作りだって,悔しいけれどどう頑張っても田舎の人に“勝てる”ものではないです。神楽に興味があるからといって入っても,幼少期から見て育っている人の感覚にはかなわないですね。

だから私は絵で,“勝ちたい”なと思っています。(笑)
地域の祭りの絵を描かせてもらったり,2011年からは北広島町の広報誌や神楽祭りのポスターも版画で任せていただくようになりました。日頃の感謝の気持ちを表現させてもらえる貴重な機会であり,地元の人がとても喜んでくださるのをみて,受け入れてもらえているんだな?とありがたい気持ちになります。
東京開催の版画大会に作品をエントリーしそちらで賞を貰うよりも,地元の人に一言「ええねぇ」と言ってもらえる方がとても嬉しいのです。
田舎育ちでない私たちには知らないことだらけで,日々生活の知恵をいっぱい教えてもらって助かっています。
コミュニティに加わるという点では,こちらが及び腰で引いていると上手くいかず,良い距離感で関わりを持たせてもらうことが,田舎へ移住する際には必要なのではないでしょうか。

移住を検討中の方へメッセージをお願いします。

生活にしても,仕事にしても,とりあえず一歩前に出て行動したら自然とまた次の道が開けていくものだろうと思います。自分の意志がはっきりしていれば,沢山の繋がりができて,周りの人が協力してくれるようになります。
私自身,移住先の地域の方々にかなり助けられていて,不安が無いといったら嘘になるかも知れないけど,これから来る人が居れば,今後は私がそういう部分で協力してあげたいなと思っています。
モノづくりする人が気軽に発表できる場を提供したり,錆びれた商店街をアート通りにしましょうという活動など,今少しずつ動いています。
昔はこの地域でも出る杭打たれる風潮がありましたが,今は逆に「よそモンが何やってくれるんじゃろう」という期待に変わってきており,多方面で本当に協力して下さるのです。
これから北広島町では,芸術家って言っても変な目で見られない雰囲気を作っていきたいです。

島田さんの一日の時間の使い方

島田 愛子さん

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