19歳でフランスに渡って辻調のフランス校へ入学し1年間を過ごしました。20歳で帰国して神戸の三ツ星フランス料理店に修業を始め、大阪、京都、フランスと修業を続け、30歳で広島に戻りました。今思い起こしても修業時代の13年間はフランス料理のことしか頭になかったと思います。
18歳で大阪に出た時から、30歳になったら広島に帰ってこようと決めていました。「身土不二」と言いますか、水を飲み食べ物を食べて育った場所に戻りたいという本能からだと思います。
それともう一つ、「広島」で何かを表現したいという想いも強くありました。
食材の宝庫の海と山、大消費地の都市があり、若い生産者が世界に通じる加工品を生み出している。広島は、料理で何かを表現したい人にとっては最高の舞台です。
フランス料理に憧れ、フランスの食文化にカルチャーショックを受け、関西で修行を重ねて、「身土不二」の思いでUターン。帰広直後は、広島の豊かで多様な食材をつなぎ表現することで、楽しい「食の時間」を共有する文化を広めている。