HIROBIRO.ひろしま移住ストーリー2021 〜先輩移住者からのメッセージ募集〜 HIROBIRO.ひろしま移住ストーリー2021 〜先輩移住者からのメッセージ募集〜

~アラフィフ夫婦の広島移住決断までの道のりと現在~

優秀賞
KHMさん
会社員
40代後半
神奈川県から移住

ちょっとだけ長くなりますが、アラフィフで子供がまだ小さい(転居時、長女9歳、同、長男4歳)私たち夫婦が移住するまでの経緯を書いてみました。
おそらく移住を考えている方も、そこに至るまでに様々な葛藤があるのではないかと思います。また現在葛藤中という方もいらっしゃる事かと思います。そうした方にも多少の参考になるようであれば嬉しいです。

2021年1月末に神奈川県横浜市から広島市佐伯区へ移住

私(49)はIターン。妻(46)はUターン

それまでの広島との縁は妻の実家が広島市なので、2010年に結婚して以来、年に2回くらいずつ遊びに来ていました。

その頃の印象は海も山もあるし良いところだなあ、とは思っていましたが、まさか住むことになるとは考えていませんでした。

  • 前職
    金融関連の営業職とお客様相談窓口業務
  • 現在
    私、ドラッグストアで登録販売者として医薬品の販売
    妻、専業主婦、趣味のカゴのネット販売

 

  • 普段していること:夫婦でモノ作り
    私、仕事の傍ら木工、パン作り、
    妻、カゴ編み、共通の趣味として自転車、サイクリングなどやっています。夢はしまなみ海道を自転車で走ること。『輪行で温泉巡り』

 

移住までの流れ

移住を考えたキッカケ

10年くらい前に夫婦でテレビで観た小笠原諸島での生活に憧れた事。でも当時の自宅は持ち家で、仕事でも徐々に責任ある立場になってきたところでもあり、全くの夢の話で、憧れでしかなかったです。また移住というのは農家をやることに憧れを持って居る方や、手に職があって起業出来る人達がするものだと思っていました。

情報集め~憧れからリアルへ~

  それから56年経過する間も島暮らしについてネットで調べたり本や雑誌を購入したりしていましたが具体的な情報があまり見つからず、なかなかリアルに考える事が出来なかったです。

そんな中で、たまたま雑誌に掲載されていた記事で有楽町に移住支援センターというものがあることを知って妻と行ってみることにしました。

そこで相談に乗っていただいて、いきなり島暮らしでなくて、一度中規模の都市に移住し、慣れたら島に再度移住する『2段階移住』などの話を聞いて初めて移住が具体的なものに思えて来ました。

このあたりでようやく移住の方針がボンヤリとですが見えて来ました。

それは、

·元々妻が広島市出身だったので西に帰りたがっている。

·私は趣味でやっている木工を掘り下げたくて、妻は自然の木のツルを使ってカゴ編みをやりたい。そのためには廿日市市や大崎上島、江田島などが候補になる。でも子供の学校や教育の事も考えて東広島市が最有力候補というものでした。

けれど、その頃には娘が小学三年になり仲の良い友達と離れるのを嫌がったこと、息子は幼稚園に入ったばかりで環境を変えにくく、また私の仕事も順調で、それらを変えることに対する不安もあり踏み切る事が出来ませんでした。

私にとって移住を決断するに当たってのポイントとしては、

  • 仕事
  • 子供の学校
  • 住むところ

(持ち家をどうするのか?売却?賃貸に出す?)

(新しく住むところはどうするのか?、購入?賃貸?)

といったところもハッキリしてきました。

ただ、時々移住支援センターには伺って話を聞いていました。

支援センターの担当の方には本当に丁寧に対応していただき、実際に一度現地を見てみては?と薦めていただきましたが、なかなか都合をつけることが出来ず先延ばしになっていました。

思わぬ方向からの後押し

なんとなくモヤモヤしたまま約1年が経過した頃、思わぬ方向から話が進みはじめました。

それまでは持ち家に住んでいたのですが、隣の家が売却されて、それをキッカケに周辺の再開発が始まり我が家にも売却話が来ました。当初は非常に悩んだものの最終的に持ち家を売却することにしました。ただこの段階では移住という観点から見ればネックの家の件はクリアしたものの仕事、子供達の学校(幼稚園)については、全く変わらず、むしろの学校については友達も増えてますます動きにくくなっており、またまた計画は一時持ち越しとなりました。そのため横浜市内の近所のマンションに引っ越しを行い、しばらくそこで住もうかという気分になっていきました。

ところが、それから一年もすると世の中は『新型コロナウイルス』が流行り経済に大きな影を落として来ました。最初は他人事として見ていましたが、私の勤務先も急速に業績が悪化し、2020年のゴールデンウィーク明けには本社以外の全支店の閉鎖と早期退職者の募集に踏み切りました。

悩みと新たな?悩み

この段階でも大きく悩みました。25年勤めた会社で、この後も続けるか?それともこれを転機として移住に踏み切るのか?

ただ、子供の学校での友人関係については時が経てば経つほど移住しにくくなることも解っていましたので、私の頭の中では会社を早期退職する方向に行きつつありました。

でも、ここで新たな問題が浮上しました。(と言うよりも自分が気がついて居なかっただけ)

仮に仕事を辞めて移住に踏み切るとして『自分が移住先で何をやって暮らしていくのか?どうやって家族を養うのか?』具体的には自営業として起業するのか?会社勤めをするのか?

再就職するとして履歴書に何を書いてアピール出きるのか?

でも、これは新たに浮上したと言うよりも何を今ごろになって?といわれても仕方がないものの気がします。他の方のお話などを見ていると、何をやりたいから何処に行きたい。そのためにこうしたい。という流れになっている気がします。

でも、私の場合、まず移住ありきでしたので、『何処で』『何をやって暮らしていくのか』というものが具体的になっていませんでした。

そもそも会社勤めをしようにも履歴書に書ける資格が何も無い!

車の免許すら無い!

早期退職の決断と移住地決定(子供の説得成功)

それでもやはり、私や妻の中では、おそらくこの機会を逃すと移住のチャンスはもう無い。というのが共通認識であり、早期退職をすることは、すでに前提になっていました。これがだいたい昨年(2020年の6月頃です)

あとは娘の説得です。

その時、私の頭にひとつ閃きが来ました。

娘の大好きな『広島のばあば』の近くに住めば良いのでは?というものです。つまり妻の実家の近くに住むということです。

早速それを妻に相談すると妻は大賛成。むしろ本当はそれを言いたかったけど、実家の近くにと言うのは申し訳なくて言い出せなかったとのことでした。けれど私にすれば、ずっと広島に住んでいた妻を横浜という、

友人も居ない慣れないところで長年暮らさせていたことに申し訳無さを感じていたくらいなので妻の実家の近くに住むということに何の抵抗もありませんでした。

娘に話したところ大喜びで『行く~!』と言ってくれました。

息子も大喜びでした。

さあ、ゴーサインが出ました!

なお、後押しの一つとして広島市の助成金があったこともあります。

(3世代同居、近居支援事業』

https://www.city.hiroshima.lg.jp/soshiki/14/7213.html

小学生以下の子ども(出産予定の子どもを含む。)がいる世帯が、親元近くの広島市内に住み替えて同居または近居を始める場合、引越し費用等の2分の1(上限10万円)を助成)

これによって幾分負担が減る事になります。

この制度には条件が幾つかあり、一つは両親の家から1.2キロ以内に住む事。これはギリギリでしたがクリア。

もう一つは『転居先の町内会に加入すること』というものです。人によっては町内会の加入を煩わしいと感じるかもしれません。けれど関東以外に住んだことがなく広島には妻の関係以外知人も居ない私にとっては地域に溶け込むためのキッカケになるので、何の抵抗もありませんでした。

転居時に役所に届け出た時に一緒に町内会長さんをご紹介いただきました。

教習所通いと資格試験の勉強

さあ、あとは運転免許と次の仕事探しです。

早期退職に応募した結果、2020年の8月一杯までの勤務ということに決定しました。そこで9月から教習所に通う事を決めました。

問題の仕事ですが、趣味である木工で起業するにはまだ不安。なので会社勤め、でも木工や自転車に使う時間も欲しい、でも地方の都市で50に手が届く人間が雇われるには何かプラスで資格が必要、妻が抗生物質にアレルギーがあり、娘は皮膚が弱く皮膚炎の薬が手放せないということを考えて医薬品販売の資格の取得を目指す事にしました。この資格ならば年齢に関係なく、またドラッグストア勤務であれば、どこにでもあるので更に転居しても仕事を探しやすいともかんがえました。幸い試験日は2020年の12月であり、まだ数ヶ月の勉強時間がありました。

そこからは、退職日までは仕事の引き継ぎ作業の傍ら資格の勉強。9月からは教習所に通いながら資格の勉強、住む物件探し、息子の幼稚園探しと忙しい日々になりました。

でもおかげで退職日の翌日からすることがなくボンヤリしてしまうということもなく大変充実した日々になった気がします。

合間に広島に足を運んで物件探しをしました。周囲からは一度で決めずに慎重にと言われましたが、ほぼ一目惚れのような形で現在の賃貸マンションに決めました。

移住と現在の暮らし

結局、2021年の1月に無事に資格試験に合格、同じ月に広島市佐伯区に転居しました。

妻の実家からは自転車で約15分という距離です。

幾つか問題もありましたが、医薬品販売の資格を生かし無事にドラッグストアに再就職も決まり2021年2月後半から勤務をはじめました。

現在は仕事休みが平日が1日と土日のどちらかがお休みという事が多いため、平日晴れた日には妻と自転車で宮島までサイクリングを楽しんだり、食事に出かけたりを楽しんでいます。もちろん妻のカゴ編みも継続しており近くのカゴ編みサークルにも顔を出しているようです。

私も時おり木工で作品を作ったりしています。

横浜に暮らしていた頃は平日に妻と2人で食事に行くなど時間的にとてもではないが無理な相談でした。まして平日の昼間から自転車で海を見に行くなど絶対不可能でした。

私達夫婦の以前からの夢は『輪行(自転車を電車などに乗せて移動し移動先で自転車に乗ること)』で各地の温泉を旅行することでした。コロナ禍が終息したら是非『輪行』でお出かけしたいと2人で話しています。

広島市について思うこと

『ちょうど良い』

私は元々の生まれは栃木県の山間部で、高校卒業までを過ごしました。その後、進学で東京に出て、そのまま東京都内の会社に就職。勤務先も東京都内メインで都会ばかりでした。

おそらく都会と田舎の両極端に居たことになるのではないかと思います。

そんな私が広島に住んで半年が経過した今思うことは、『ちょうど良い感じ』です。

渋谷とか日本橋とかほど人間関係が希薄でなくて、田舎ほど濃くない、全く関心が無いのでなく、かといって思いっきり構われる訳でもない。人間関係を構築するのが上手でない人間にとって本当に『ちょうど良い』加減に思います。

そして、ちょっとだけ車や電車や自転車に乗れば島にも行けるし、渓流でも遊べるし海辺もある。広島市の中心部に出ればかなりの都会です。

将来的に『島暮らし』の計画が継続中の私達夫婦にとって、まさしく『ちょうど良い』のが広島県です。 

エピソード

広島市に移住する決断したことを、広島県に居る妻の兄弟達にグループLINEで報告したときのこと。

子供達に移住のプラカード(横浜広島、移住します!と書いた)を持たせて動画を撮影して報告をしたら妻の姉や従兄弟達が泣いて喜んでくれた事がすごく嬉しかったです。

最後に

私達夫婦の場合、移住したいとぼんやりでも考え始めてから実際に決断するまでは約10年かかっています。

移住を決断してから引っ越しまでは約半年間です。

この期間が果たして長いのが短いのかは分かりませんが、少なくとも20205月からの1年間の変化は目まぐるしいものでした。特に新型コロナウイルスの流行による経済情勢の変化という要因は結果的に強力な後押しになりました。

おそらくそれが無ければ移住の決断を出来なかったかもしれません。

その決断の結果として、平日に自転車で妻とサイクリングに行き食事も楽しめて、子供達の休日には近くの海や山や川に連れていける。何よりも朝の満員の通勤電車に乗らなくてよくなったことが何よりも嬉しいです。

今後は妻のカゴ編みの作品や私の木工作品(ドールハウス)がネットで売れる様に励んでいこうと思っています。

以上、少しでも移住を検討されている方の参考になるところがあれば幸いです。

受賞作品