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人生を変えた「ヒロシマ」—海と里山、人の心に想う

梶原茂樹さん

エピソード1「海との調和」

数年前、ロードバイクに夢中だった私は、尾道から今治に続く「しまなみ海道」を息を切らして走った。天候にも恵まれ、水面のきらめきが忘れられなかった。

数年後、県境の移動はほぼ新幹線だった私が、4時間近くかけて広島市に向かっていた。

一人の女性に会うため、山口県から続く山陽本線に揺られ…時折瀬戸内の海が見えていた。

 

あぁ、海だけは境界もなくつながっているんだな、そんなことを思い馳せながら。

 

私は海のある街で生まれ育った。砂浜でも、岸壁でも、海は海。

海は世界中とつながっていると、教えてくれた父はもういなかった。

海を愛したナイスガイだった。

 

広島には何度かもちろん訪ねたことはある、小学校の修学旅行で訪れた宮島・原爆資料館・原爆ドーム…焼け野原からこの街を発展させてきた人々の強さとバイタリティには本当に

頭が下がる。実は高校時代、模擬原爆なるものを作ったことがある。私の故郷も原爆投下候補地の一つだったと聞かされ、驚いたとともに、なぜ原爆投下というそこまでの究極の戦いをしなければならなかったのかと当惑さえした。

 

少しの間、彼女宅に居候の身となった私は、毎日バルコニーから見える、瀬戸内海、そして名の知れない島を眺めていた。

86日、テレビ越しではあったが、数キロ先でライブ中継されている平和祈念式典を厳粛に見守り、平和宣言に涙した。確信的に感じた。広島の人々は「平和」の尊さを誰よりも

知っている、命の尊さを。

 

当時立町にバス通勤していた私は、平和記念公園前バス停で、いちいち緊張していた。

身の引き締まる思いだった。建築が趣味の私でもある、若かりし丹下チームが創ったクリエイションに圧倒畏怖さえ感じていた。あそこに行けば、誰もがゆったりとした、穏やかな

時間を過ごせる。彼女とも、何度も足を運び愛を深めた思い出の地。

 

デルタを流れる川は瀬戸内の豊饒な海に注がれる。まるで水の都じゃないか。

 

私は年末を郷里山口で過ごし、今年晴れて広島市民になった。海がどことも境なくつながっているように、彼女の心もつながったままだった。

「近くて遠かった」広島に私が定住するとは夢にも見てなかった。人間の心は憎悪に燃えることもある。しかし、厳島神社の大鳥居が海上にあるように、海はきっと、世界中のどことも切れずにつながっている。広島の海は、瀬戸内の海はいつも美しい。

エピソード2「真なる平和に向けて」

私は広島で起業した。人脈もないのに、無茶をした。

しかし、広島という街が私に考えさせ、出た答えが起業だった。

平和を本当に実現するためには、あまねくチャンスの与えられる社会であることが、前提だと思う。少子高齢化の時代、テクノロジーに追いつかない人だって当然いる。若者は起業の道を次々選択し、社会を変えていくだろう。

そこに平和や、共存の強い信念が必要だと思う。そのことを広島は私に教えてくれた。

 

今、広島の各地で再開発が進んでいる。住んでいる西広島駅も駅舎が建て替わった。

12年先には活気が戻ってくるだろう。もっと先には若い人が様々なテックで実現不可能を可能に変えていることだろう。

西広島のことを書いたので、併せて。私も全国市町を訪ねてきたが、広島ほど公共交通網が

発達している街はない。本当に便利だ。

 

私は現在広島県山県郡で産業振興の仕事をしている。驚くのがその自然の豊かさだ。

確かに広島駅周辺、中区中心部などは全国有数の繁華街だ。

でも、高速道路も充実している広島県、車さえあれば、里山に数時間でワープできる。

週末のワーケーションで使うのも大いにありだろう。子供たちなら、大人以上にいろいろな遊びを発見してくれそうだ。

夏は三段峡で川下り、カヤックなど最高に楽しい。冬は恐羅漢でスキー・スノボを楽しもう。

もちろん、夜は空を見上げてほしい。満天の夜空に星が瞬いている。

 

美しいものを素直に美しいと、好きなものを素直に好きと言える子供たちを育てたく思う。また自分自身もそうありたいと思う。

 

広島県は海・里山・そして便利さを三拍子兼ね備えたところだと最近気づいた。

あわせて交通網も素晴らしく整っている。

 

世界遺産が二つあることも、住民として大変誇りに思う。

最後に

広島で私は二つの大切なものを得ました。一つは守りたいと心から思える女性。

もう一つは、起業という自分の夢。

 

広島ほど都会と自然が調和した街は他にありません。

受賞作品