HIROBIRO.ひろしま移住ストーリー2021 〜先輩移住者からのメッセージ募集〜 HIROBIRO.ひろしま移住ストーリー2021 〜先輩移住者からのメッセージ募集〜

尾道のモンサンミッシェル

まりこ先生さん
東京都から移住
50代以上
その他

尾道市の東部、浦崎町の沖に浮かぶ観音堂です。普段は海の中にありますが、干潮になると歩いて渡ることができます。近年、尾道のモンサンミッシェルと呼ばれるようになってきたそうです。その昔、浦崎町が複数の島だった頃、このお堂のある島が「浦の崎」にある島ということから「浦崎島」と呼ばれており、現在の町名の由来となりました。「乗り越えたい試練を叶えてくれる観音様」と言われています

この広島県尾道市浦崎町は、周りを福山市に囲まれている、尾道市の飛び地にあります。飛び地であるゆえに、昔より、地域に共助の歴史と文化があり、
地域みんなでこどもを育む、また、教育に力を入れる土地柄だったようです。

主人が、この浦崎町で生まれ育ち、高校卒業後、東京に進学・就職・結婚をし
45年に渡り東京在住をしておりました。私も、生まれ育ちは、同じ尾道市内の向島町の出身で(以前は、御調郡でした)夫婦で2年前より、Uターン移住をし、この浦崎町で「空き家利活用のこどもと多世代の居場所づくり」プロジェクトをスタートし、今年度5月より開設・運営しております。

日本の原風景が残っている、自然豊かな地域で、「無花果」や「甘藍(カンラン)と呼ばれているキャベツ」の産地でも有名です。
龍王山から観る「瀬戸内海」は絶景スポットで、今は遊歩道も整備されています。
町内にはスパ&リゾートで有名な「ベラビスタ」もあり、芸能人ご用達の町でもあります。
ちょうど、今から4年ほど前の夏、浦崎町戸崎港と対岸の尾道市向東町歌港を結ぶフェリーに初めて乗船し、その景色に心が揺さぶられる!と叫んだ私でしたが、
人生設計に尾道に帰るとゆう選択肢は微塵もなかった、私たち夫婦でした。
長年、東京都で学童保育に携わっていた私は、看護・介護で長期に広島県に滞在する中で、「課題」を見つけてしまい、「この地域の未来を担うこどもたちに元気になってもらいたい」の思いで、社会資源である「空き家」を利活用し「こどもと多世代の居場所」づくりを始めました。広島県は知事も教育長も関係人口で、3年近く前に東京でNHKに出演された広島県平川教育長の特集を目にしたことも、Uターン移住を決断する、大きな要因となりました。都会と地方のあらゆる格差をこの2年間、感じてきました。こども(特に就学児)を取り巻く環境に課題も多く感じ
ました。ただ、驚き嘆くばかりでは、何も変わらないので、出来る事を見つけ
一つひとつ取り組んでいきたいと活動をしております。

東京で言われた事があります。「瀬戸内海の温暖な気候や旬の果物や野菜、魚を
当たり前のように食べて育ってきた人が持つ豊かさは、東京とゆう都会しか知らないで育ってきた人とは、比較にならない豊かさや魅力を持ち合わせている」と。

また、コロナ前に広島に遊びに来た友人2人もそれぞれに、「この環境や、広島の人柄の中で、どれだけ愛されて育ってきたかが、よくわかった」とも言われました。

私たちが、知らず知らずに当たり前に育ってきた環境であったり、地産地消の食であったり、育んでもらったたくさんの人の愛情が、この広島県 とゆう風土に根付いている ことを改めて教えられた私でした。

都会には都会の魅力や良さもたっぷりあり、それを知り尽くしているからこそ
この広島県の自然・食材・地域に根付いて生活をされてこられた方々の深い愛情
それら全てが詰まった、「ひろしま」の魅力は計り知れない産物です。

第2の人生を、この魅力溢れる、瀬戸内海の町で、たくさんのこどもたちの
笑顔とともに生きていけることに、ただ毎日感謝の気持ちですごしています。

人生100年時代に突入した今、「真の豊かさ」とは、を日々感じながら
この、広島の地で生きていける、ありがたさを味わっています。

受賞作品